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    はじめの一歩。 

     見事な五月晴れ。サッカー日和。


     「我が県サッカー協会はフェアプレー日本一を目指します。」

     印象的な言葉を全体の始めに持ってくること。小学校の作文で誰もが習うことだ。だから、この文章をTOPに持ってきた。でも、同じく作文の作法から考えると。僕的には〝。〟の位置が気持ち悪くて仕方がない…。いや、違うなぁ。この気持ち悪さの原因は〝。〟の位置だけのせいではないなぁ。じゃあ、何で気持ち悪いのだろう?  もう一度、声に出して読んでみる。「我が県サッカー協会はフェアプレー日本一を目指します。」かぁ。待てよ待てよ…。目指す? つまり、今は日本一ではないことを暗に認めていると言うことか? これだ。気持ち悪さの原因は。

     何ごとも疑ってかかること。これは小学校で習う科学の第1歩だ(笑)。

     今日は、とても大きな命題にトライをしたい。ズバリ、「小学生年代のフェアプレーとは、なんぞや?」。あまりにテーマが大き過ぎると雲を掴むような話になってしまいそうだが…。それは困る。どうしたものか? そういえば、中学生の時、論理構成の第1歩として習ったことを思い出した。「難しい命題の話をする時は、身近な例を引用すること」。ふむ。身近な例ね…。あの話、この話、どれが適当だろう? 最も書きたい例が、あるにはあるのだが。それを書くと、批判になりかねない。それはフェアプレー日本一を目指す県サッカー協会の一員として適切なことではないだろう(苦笑)。仕方がない。また、彼に登場を願うか…。彼を使えば後腐れは一切ないからね。

     具体例として息子を使うこと。それはこのブログの基本の〝キ〟だ(笑)。

     以前、息子に聞いたことがある。「オマエ、狙ってファウルをしたことがあるか?」。リュウは即答した。「一度だけ。たった一度だけだけど、あるよ。ジュニアユース3年の時。レッド覚悟で横からブチかましに行った。結果、相手はフっ飛んで。そして大事な試合で勝利を手にできた」。どの試合か? 読む人が読めば分ってしまうのだが。

     敢えてボカす。これはマスコミが書く記事の初歩の初歩だ(笑)。

     息子の話は続く。「カード? イエローで済んだ。ただ、自分の中では許し難い〝レッド〟のプレー。今でも後悔しているよ。最初の一歩が遅れたんだ。以後、同じ後悔をしたくないから、最初の一歩目は絶対に遅れないっ! と心に誓っている。んっ? 監督がホメたかどうか? ホメるわけないじゃん。スゲェ怒られた。だから、僕はカントクが好きなんだ」。

     さすが市議会議員。強い正義感は政治家の基本資質だ。

     実は今日。A市本部長杯Cクラス予選で我がチームの子が対HEチーム戦で後ろからボールにスライディングに行き、ファウルを取られた。今日のグラウンドは芝っぽい草の生えているA市運動公園サブグラウンド。滑ってでも止めたくなったのだろう。泥臭いプレーが特長のかなりの頑張り屋さんの彼。そんな彼が犯したファウル。確かにボールには行っていたが、明らかに危険なプレー。絶対にしてはいけないプレーだ。笛を吹いた後、審判(4級だが実にフェアで清々しいレフリングをする方)が、「今のは危ない。相手がケガをしたら大変だ。気をつけよう」と彼に諭した。ありがたいことだ。

     良いレフリーがいるチームは良いチーム。少年サッカーの定理だ。

     もし。今日の審判が彼を諭してくれなかったら、僕は中心選手の彼を替えたと思う。例え、それで負けたとしても、だ。審判のお陰で、今日は替えずに済んだ。感謝だ。ただ一応、審判による諭しの後で、「○○~。わざとでないのは分かるけど、汚いプレーは我がチームでは厳禁っ!しっかり謝れっ!」とは叫んだ。そう。小学生のフェアプレーとは、小学生自体の問題ではない。賭けても良いが、小学校4年生あたりで「ファウル覚悟で行く」なんてことは、絶対にない。反射神経が良いから、運動能力が抜けているから、思わず犯してしまうファウルがその殆どだろう。問題は、周りの大人がそれを咎めることことができるかどうか? だ。それが小学生のフェアプレーを生み出す第1歩だと言っていい。

     これも、もし。審判がまだ経験不足の方で。ベンチも「ボールに行っているのだからファウルではない」としたら、どうなるか? 周りで見ている保護者は「よくぞ止めたっ!」とヤンヤの喝采。ホメられたと勘違いをしたその子は、後ろからのスライディングを続け、結果、大事なサッカー仲間の足を傷つけてしまうかもしれない。ファウルをしないことが、フェアプレーではない。ファウルをしなくても済む技術を身に付け、その上で熱く激しく闘うこと。それが将来的なサッカープレーヤーとしてのフェアプレーに繋がると僕は確信をしている。だから。小学生のウチは。大人が厳しく正しいプレーを本人および本人の周りに伝えることが重要になる。それが小学生のフェアプレーのスタートだろう。

     息子の後悔は、できれば他の子にはしてほしくない(彼の名誉のために敢えてもう一度書くと、17年の生涯で一度だけのことではあるが)。サッカー経験者としてコーチが「局面で使う技術練習」や「ムダ走りのサッカーにおける重要性」などを伝える前に。そんなことは二の次、三の次のことなのだから。まずは小学生が将来ちゃんとした大人になるためのフツーの大人としてのフツーの助言を行うこと。それがコーチの最初の役目ではないだろうか? そして、そういうコーチがいるチームを増やすこと。それが「我が県がフェアプレー日本一になる」一番の近道だと思うんだけどなぁ。大事なことはサッカー以前のことだと思う。これって、僕の思い過ごしだろうか?
     
     文章の最後は、これまた印象的な言葉で締める。これも小学校の作文の授業で学んだことだ。今日の試合は、いや。今日に限ったことではないけれど。我がチームの4年生は通常では考えられないような爆笑プレーを何度も披露してくれた。断っておくが、普段は厳しい僕もそういうプレーは決して叱らない。ルールの範囲内で、さらにモラルの範囲内でフェアプレーにあふれた環境の中での驚くようなプレーは間違いなく子どもの個性の象徴だ。そういうプレーは基本に沿っていなくても、僕はホメる。だって、なにせ我がチーム4年生の目標は、以下のものだから。

     「我がチーム4年生は珍プレー日本一を目指します」。
     〝。〟の位置は、やはり、これが正しい(笑)。



    所在地:福島県田村郡三春町大字滝字桜久保 

     「優しい悪魔」が好きだった。


     三春の滝桜が満開になった。三春の滝桜とは、福島県田村郡三春町にある、樹齢1000年以上のベニシダレザクラの木だ。毎年4月中旬過ぎに咲く。四方に広げた枝から花が流れ落ちる滝のようなることから、この名で呼ばれる。高さ12m、根回り11m、幹周り9.5m。枝張りは東西に22m、南北18mに及ぶ。

     美しい。
     文句なしに美しい。
     それにしても美しい。
     ここで見てほしい。http://www.takizakura.com/

     僕は。この滝桜を観に行ったことがない。嫁の実家が三春町に近い福島県大玉村にあるというのに、観に行ったことがない。それには理由がある。多分、言い訳にしかならないのだが。この時期、毎年、少年サッカーも〝満開〟だから。6年生は全少予選。5年は我が地区前期大会。4年以下は5月にかけて、A市本部長杯争奪サッカー大会が行なわれる。だから、三春の滝桜を観に行く暇がなかった。

     観たいなぁ、三春の滝桜を。

     明後日は雨の予報だ。おそらく我がチーム4年生の練習も休みにするしかないだろう。そうか。今年は観に行けるかも。嫁と二人で日本三大桜ツアーに出掛ようか。久しぶりのデートとしては最高のシチュエーションなのかもしれないなぁ。なにしろ日本三大桜が満開なのだから。きっと嫁は喜ぶだろう。自分の郷土の桜が久しぶりに観られるだから。「綺麗だね」と2人で語ったら、幸せな気持ちになれるだろうなぁ、きっと。

     滝桜はスゴいなぁと思う。
     どっしりと根を張り、毎年、花を咲かせる。
     どんなときも。4月になれば、花を咲かせる。
     1000年間、それは変わらないことだ。

     いや。滝桜だけではない、か。人も、そうだ。実際、僕だって4月になれば、少年サッカーを子ども達と、毎年満喫してきた。それは1000年ではないけれども。毎年、変わらずに続けてきたことだ。桜咲く、4月。少年サッカー満開の4月。それは、何があっても変わらずに続けていけるものだ。どんなことがあろうとも。そう信じていた。

     でも。でも。とても残念なことなのだけれども。今年の4月は。当たり前のことが当たり前に行なわれない現実がある。サッカー満開を満喫できない子ども達がいる現実がある。滝桜は何事もなかったかのように咲いているのに。本来、当たり前にサッカーができるはずの、子ども達がそれをできない現実がある。きっときっと。ウマイヘタに関わらず。今年の4月に咲く準備を必死に必死に続けてきていたのに。

     咲く前に。咲くこと自体ができなくなってしまった子もいる。
     咲く前に。咲く場所が無くなってしまった子もいる。
     咲く前に。咲く場所はあるのに、咲くことを制限された子もいる。

     頑張って咲いている三春の桜を観に行ってあげるように。僕らが、子ども達にできることは、何だろう。咲く前に咲くこと自体ができなくなってしまった子のためには、生き残った僕らが懸命に生きるしかない。咲く前に咲く場所が無くなってしまった子のためには、必要なものを送り、励まし続けるしかない。咲く前に咲くこと自体が許されない子のためには。咲く場所を提供してあげるしかないはずだ。

     お題目を唱える前に。
     僕は、できることを。しよう。
     それが、本当にサッカーを愛する友達への応援になるはずだから。

     三春の桜は。やはり、今年も観に行くのは止めようと思う。その暇があれば、自分の役目を果たす準備をしたほうがいい。三春の桜が1000年咲き続けるように。少年サッカーが、可能な限り、できる範囲で咲くことができるように。努力を続けることが、今、僕にできること。その準備を続けること。それが、やらなければいけないことだ。まずは。福島のチームをA市に呼びたいと思う。そのために、今、やらなければいけないことがある。続いて、宮城・岩手と続けられればいいのだけれど。相手の状況もあることだから。何より、無理をさせるわけにはいかないから。

     だから。滝桜よ。待っていてほしい。

     いつか。いつか。観に行くから。きっと。きっと。観に行くから。それまで、毎年咲き続けてほしい。滝桜よ。僕は、今年、咲くべき子ども達を咲かせてから。君に会いに行く。だから三春の地から観ていてほしい、君の地元、東北の少年サッカーという満開の桜が咲く姿を。

     三春の地で。いつか美しく咲く君に報告したい。
     日本のサッカーは。東北のサッカーは。
     負けなかったよ、と。




    Team as One  

     ボツボツ書こうと思います。


     日本代表vs.Jリーグ選抜によるチャリティマッチが明日、大阪・長居スタジアムで行なわれる。出場選手のコメントがいろいろなメディアから伝わってきている。その中で、僕が「これが一番っ!」と感じたのが下の記事。涙が出た。やはりカズはキングだ。問答無用にスゴい……。

     以下、2011年3月25日付 日本経済新聞コラムより原文のまま全文掲載する。

     「サッカー人として」 三浦知良

     このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その一分一秒が、どんなものだったかを思うと、本当におかけする言葉も見つからない。

     生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」。試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。

     サッカーをやっている場合じゃないよなと思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。医者に食料、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」だと。

     未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々は余裕ある日々など送っていない。水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みはとても癒やされはしない。そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削って必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らが勇気をもらっているのだから。

     サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。

     言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。暗さではなく、明るさを。29日、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。(元日本代表、横浜FC)
     

     久しぶりのブログなので。さぁ、コムズカしいことを書くぞ! と思っていたが。カズの記事を写しているうちに、その気は全くなくった。千の言葉は要らない。今日は、とにかく、代表と選抜の本気のサッカーを見よう。選手にもお願いしたい。メッセージを書いたシャツを見せる等の特別なパフォーマンスは一切いらない。ただただ、真剣に戦う姿を僕らに見せてほしい。カズが書いた通り、「全力で、必死に、真剣にプレー」をしてほしい。それがプロにできる唯一のことなのだから。

     許されるパフォーマンスは、ただ1つ。
     いつも通りのカズダンスだけ、だ。
     カズには、その資格がある。



    場所。 

     いい天気。朝からランニング。


     「Kッチのママに聞いたのだけど。Kッチはサッカー部に入ったけど。Iちゃんは、アメフト部に入ったんだって」。朝、嫁の発言を聞いて、思わずコーヒーを吹き出すほど驚いた。

     ちょっと状況を説明しよう。Kッチとは我がチーム11期生。つまり、息子の同級生。Iちゃんは、小中学校は違うがKSCのチームメート。この2人が今春、東京・石神井にある同じ学校に入学した。で、なんと同じクラスになったという。縁とは不思議なものだ。そんなKッチママ情報なのだから「Iちゃんアメフト部入り」のニュースに間違いはないだろう。

     KっちとIちゃんの学校のアメフト部は超名門だ。マンガ「アイシールド21」(少年ジャンプ)で有名になったクリスマスボウル(全国高校アメリカンフットボール選手権の決勝をこう呼ぶ。関東と関西の隔年開催で、関東開催は味の素スタジアムで行われる)で優勝したこともある。最近の活躍も目覚ましい。2007、2008年は2年連続でクリスマスボウルに進出。両年とも、惜しくも準優勝で終わったが、名門復活を強く印象づけた。

     なんで僕がこんなに詳しいか? というと。実は会社で非常に仲の良い、かつ「この人に一生、付いて行こう」と僕が勝手に尊敬している先輩が、この高校のアメフト部のコーチをしているからだ。「オマエの子どもさぁ、カラダもデカくて、サッカーやっているんだろう? ウチの学校を受けさせない? で、アメフト部に…」と、息子が中1の時から言われていた。返事はもちろん、「ムリっす。アタマが足りません」。「残念だなぁ…。日本一になれるかもしれないのに…」。そんな会話が月イチペースで行われていた。そのアメフト部にIちゃんが入部。

     いいじゃんっ! Iちゃんっ!
     目指せっ! 味スタだっ! 

     高校入学を機会に他競技に転向する子は少なくない。かく言う、僕がそうだった(サッカー→ラグビー)。サッカーをあきらめたからじゃない。新しい生活を始めるに当たり、僕の目にはラグビーが非常に魅力的に映ったのだ。サッカーだけがスポーツじゃない。サッカーは大好きだけれども、僕はラグビーをやってみたいっ! そう思ったことを昨日のことのように思い出す。事実、ラグビーは僕にとても合っていたし、やっていて、とても楽しかった。

     サッカーで頑張れたヤツは他のスポーツでも頑張れる。
     それがアスリートだっ! 
     (僕はアスリートではなかったけどね、笑)

     KSCのエースFWのY君は、県トレセン、サッカー強豪高校から特待の誘いを受けるような選手でありながら、僕と同じように(僕の方がレベルは全然低いが、笑)、ラグビーを選んだ。進学先もラグビー名門の公立高校。同校ラグビー部では既にラグビー用語で言う〝1本目〟で活躍しているという。Y君は「目指せっ! 花園っ!」なのだ。「男なら常に一番を目指せっ!」と、旧KSCマルガリーゼ・現ハローキティーズT監督に口を酸っぱく言われたいたことを皆、実行している。サッカー続けるヤツがエラいわけじゃない。目指せるヤツがスゴいのだ。テニスなら「目指せっ! 有明コロシアムっ」になるし、バスケ、バレーなら「目指せっ! 代々木体育館っ」、柔道なら「目指せっ! 日本武道館っ」、相撲なら「目指せっ! 両国国技館っ」だ。日本一になれる場所ををそれぞれの分野で目指す彼らを応援したい。それは中学で競技を変更した子どもに対しても同じだ。僕は心から、「頑張れっ! 日本一になるためにっ」と思う。

     ちなみに。息子の学校もラグビーが強い。なので、「オマエ、ラグビー部に入って花園を目指せば? いいNO・8(ナンバー・エイト)になれると思うよ~」とサンザン言ったが。「オレは、やっぱり『目指せっ! 国立っ!』だよっ!」とサッカー部に入った。「だったらさぁ、進学先はシズガクかマエイクだろう…」と最後までブツブツ言う僕の言葉には耳も貸さずに…。まぁ、それはそれでいい。オマエの人生だ。オマエが決めろ。
     
     たださぁ…。その「目指せっ! 病院っ!」だけは止めてくれないか?(苦笑)。



    開運。 

     東京は真夏。スーツを脱ぎたい…。


     失敗は成功の元だ。
     サッカーで子ども達にいつも言っている。

    「失敗したっていいじゃん! まずは『やって』みようっ!」と大きな声で言っている。チャレンジをしない子がいれば、「コーチは失敗を叱ったことがあるかい? 逆に『やろう』としない時は叱られちゃうよね?」と問い掛ける。「やろうっ! 失敗して失敗して上手になるんだ。メッシだって最初から上手だったわけじゃない」。メッシが中村俊輔に変わる時もあるが、とにかく、失敗は「ナイスチャレンジっ!」と僕はホメる。

     失敗は成功の元だ。
     強調したって、説得力に欠けるか。

     こういう時は偉人の言葉の引用に限る。「失敗は一種の教育である。「思考」とは何であるか知っている人間は、成功からも失敗からも、非常に多くのことを学ぶ」~ジョン・デューイ(哲学者)。まだ、足りないか? では次。「人間である限り、誰でも過ちはある。しかし賢者や善人は、自分の過ちや失敗の中から、未来に備えるための知恵を学び取る」~ブルターク(歴史家)。続けよう。「挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。何度も言いますが挑戦しないことには始まらないのです」~野茂英雄(元MLB投手)。トドメだ、次が最後っ!

     「最初は失敗してもいいのではないかと思っている。最初からうまくいくほど商売は簡単じゃない。失敗しても、そこから勉強することがだいじなんです。失敗の原因を考えて、もう1回トライする。何回もやったら、スポーツといっしょで上達するかもしれない」~柳井正(ファーストリテイリング社長)。

     失敗は成功の元だ。
     ユニクロだって、一回コケた。

     実際、45年の人生を振り返ってみれば、失敗だらけだ。でも、常にその失敗を教訓として生きてきたつもりだ。大学入試に失敗し、浪人、それで夢は叶わずにM大へ。就職だって、本当はテレビ局で「台風中継」をするのが夢だった。なんの因果か、今の会社に入社。ライターになれる! と喜んだが、営業へ配属。以来、入社20年。失敗、失敗の連続だった…。それでも! 必ず次に活かしてきたつもりだ…。

     が。今回の仕事での失敗は…次に活かせそうにない…。

      ダルマ
     (手前の大きさを比べるための麦茶が虚しい…)

     
     ダルマの大きさを発注の時に間違えた…。しかも12個…。
     二度とダルマの発注なんて仕事はないだろうなぁ…(苦笑)。