2010.05.19 Wed
GTO。

「今日のバスケの練習ね、担任の先生が見に来てくれたんだっ!」。長女がウレしそうに笑顔で話し掛けてきた。長女の女子バスケ少年団はホーム小学校の体育館を使っているわけだから。まぁ、勤務の帰りに先生が覗いていた、が本当のところだとは思う。が。子どもにとっては、そんなことは関係ない。「先生が来てくれたっ!」。その事実だけでモチベーションは上がる。それが自分の担任ならば尚更だ。
長女の話によると。その先生は、昼休みも長女達とバスケを一緒に興じてくれるという。なんでも、大学時代はアメフトをやっていて、球技が大好きとのこと。そういえば、僕がアイサツをすると大きな声で笑顔の「こんにちはっ!」がいつも帰ってくる。ガッチリした体格に明るい笑顔のバリバリの体育会系の印象だ。「そうか。いい先生だなぁ。好きか?」と聞く。
「うんっ。大好きっ!」。
教諭という仕事は激務だ。朝、7時半には学校に行かねばならない。そして、終業時間は20時を回ることはフツーのことらしい。昨今、教諭のサラリーマン化がよく話題に上るが、労働条件としてはサラリーマンの方が上なのかもしれない。だからこそ、「ここまでは教諭の時間、ここからはプライベートの時間」と自衛のために切り分けをする先生が多勢を占めるのだろう。みんな、家庭もあったり、恋人もいたりするのだろうから。それは、人間としてはフツーのことだと僕は思う。
だが。それは分かっていても。
世の中の教諭の皆さん、ごめんなさい。
僕の中での〝いい先生〟の定義は。あくまでも僕の中での、ですが。
「24時間、生徒のことを考えられる先生」だったりしてしまうのです。
例えば。〝学校的には、あまりいい子と呼べない子ども〟がいたとして。この子が学校とは別にサッカーなんてやっていたりして。で、サッカーでは全く問題がない優等生だったりして。で、その先生が、その〝サッカーでは優等生〟の噂を聞きつけたりして。で、本来は休みの土日にサッカーを見に来て、その子の活躍を目に焼き付けて。で、平日の学校で、その子とサッカーの話をして、理解をしあう。そんな先生がいたら、素直に僕は〝いい先生だなぁ〟と思ってしまう。
実は。去年までホーム小学校には、そんな先生が1人いた。50歳を超えた男の先生。〝学校的には、あまりいい子と呼べない子ども〟には、ケッコウ人気があって。みんな、「◎◎ちゃん」「◎◎ちゃん先生」と呼んでいた。〝学校的には、あまりいい子と呼べない子ども〟予備軍の1人であるウチの次女も、その先生が大好きだった。担任でもないのに「今日ね、◎◎ちゃんがね…」と、父親の僕によく話をしていたものだ。『男であっても女であっても、生徒同士は「○○さん」と呼び合いなさい』という学校で。「◎◎ちゃん」「◎◎ちゃん先生」と呼ばれる先生は、間違いなく〝いい先生〟だと僕は思う。
もし。自分が学校の教諭だったとしたら。
生徒は「コーチ」「コーチ先生」と呼んでくれるかなぁ?
大学生の時。「教職課程を、ちゃんと履修しておきなさいっ!」と言う母に、「ごめん、世の中で一番成りたくない職業が教師なんだ」と言い放った。すごく後悔をしている。まさに親の言葉は金言だ。今から学士入学しようとしても、今年45歳だ、チト遅いか。あ~ぁ、教職課程をちゃんと取っておけばよかった…。
まっ、なっていたとしても。
素行不良教師として糾弾されるのがオチなんだろうけどね(笑)。
- [2010/05/19 23:23]
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