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    急がば回れ。 

     気温30℃超えっ!


     我が社の商品がなかなか売れない時代だ。今日の他部署・同期との定例ブレストも当然、その話題になる。ちなみに。彼の息子も東京・大田区のフツーの少年団でサッカーをやっている。で、彼もその少年団のお父さんコーチだ。

     同期:「なんで売れないんだろう?」 僕:「ツマラないからに決まってんじゃん、そんなの」 同期:「朝日、読売、日経はオモしろいよなぁ…。特にスポーツ面のコラム。世情を掴んで書いているものが多い。みんなが抱えている問題をキチンと整理してくれる。『ニュース!』に縛られていないんだよ。本当は、ああいうのをウチ辺りが毎日、載せなくちゃイケないと思うんだよなぁ…」。

     僕:「オマエ。今日の日経のコラム読んだだろう?」(笑)
     同期:「バレた?」(笑)

     以下、7月7日付、日本経済新聞本紙スポーツ面コラム「スポートピア」より全文抜粋。

     水沼貴史(サッカー解説者)「道違えど物言う信念」

     『今を生きるサッカー少年は大変だなあと思うことがある。私のころはサッカーは少年団で始め、中学、高校は部活で打ち込むのが王道だった。高校と大学をどこにするかで悩みはしたが、学力や目指すものと相談すれぱ、おのずと答えは出た。

     今は大ざっぱに分けても学校の部活、民間クラブ、Jクラブの下部組織と3つの育成ルートがある。日本協会直轄のアカデミーを入れれば4つ。そして高校のサッカー部がジュニアユース(中学生)のクラブを立ち上げて一貫指導を図るなど、高校とクラブのいいとこ取りを狙った育成のハイブリッド化みたいな現象も起きている。

     そうやってルートが多様化、複線化すること自体はいいことだろう。部活の厳しい上下関係に耐えかねた選手がクラブで生き返ったり、逆にクラブの厳しい競争から振り落とされた選手が高校サッカーでよみがえったりするからだ。ただ、人によっては小、中、高それぞれで自分に合った居場所を探さなければならず、どこかを選ぶたびに「隣の芝生は青く見える」ワナに落ちかねない。

     子供に聞違いのない環境を与えたいという親心は分かるが、母校法大でコーチをしている経験を踏まえると、ある程度の年齢になったら選択に子供の意志を反映させることが大切だ。自分で居場所を決めてきた選手はおしなべて意識が高いからである。私の要求に対して、「無理」と簡単に弱音を吐かない。できると思うから求めている、無理かどうか決めるのは指導する側、という根本を理解してくれるのも、そういう選手たちだ。

     逆に「何となく大学に来た」という選手はあきらめが早い。修正能力も低い。自分の物差しを妙に過信し「ぶれない」という言葉が好きだったりする。ぶれない自分をつくるために幹を太くするには周囲の助言に耳を傾けることが大事だが、耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。

     Jリーグができて20年もたっておらず、育成に関してはまだまだ試行錯誤の段階なのだろう。もともと育成には謎の部分が多い。「これは」と思った〝玉〟は思ったほど伸びず、「難しいかな」と思った〝石〟がプロとして大成する例はいくらでもある。無責任な言い方をすれば、だから育成は面白いともいえる。
     
     現在の日本代表も、プロ育成に秀でているはずのJクラブのユース出身者より、高校サッカー部出身者が圧倒的に多い。中村俊(エスパニョール)、遠藤(G大阪)、中澤(横浜M)、主カはみんなそうだ。彼らの歩みを見ているとサッカーは回り道ができる競技だとつくづく思う。登山と一緒で頂上までのルートはいくつもある。大事なのは「どの道が正しいか」ではなく、どの道をたどろうと頂上に立ってみせるという信念なのだろう。』


     同期:「水沼って、埼玉だよね?」僕:「そう。バリバリの浦和っ子。確か本太(もとぶと)。自分で王道って書いていたけど。王道中の王道だよね。小・中で全国制覇、高校は松本暁司が率いる浦和南で全国制覇。相手はシズガクだったはず。すげぇ試合だった記憶がある」 同期:「って、言いながら水沼の息子(宏太)ってマリノス下部上がりだよね?」 僕:「そうだよ。まぁ、水沼の息子だから。他の選択肢はなかっただろうなぁ。でも、確か、小学生の時はマリノスではなく、あざみ野だった気がする」 同期:「横浜育ち、マリノス育ちか…」

     同期:「って! おいっ! 回り道してねぇじゃん!」(笑)
     僕:「だから。後悔して、あのコラム書いたんじゃねぇか?」(苦笑)

     高校=回り道という感覚のズレは置いておく(まさか、「バイパス=迂回道路の方が早い」という意味までは含んでいないだろう)。天下の水沼でさえ、惑いを今更、感じているのだ。僕らが惑ったって不思議じゃない。まぁ、惑うレベルが全然、違うけど(苦笑)。金言は最後の一文と。中でも最後の一節だ。『大事なのは「どの道が正しいか」ではなく、どの道をたどろうと頂上に立ってみせるという信念なのだろう』。これは水沼貴史の本心であり、間違いのない真実と信じよう。

     僕:「まっ! お互い、子どもの人生だ。子どもが決めるのを黙して待とうっ!」。
     同期:「カネ、掛かるんだろうなぁ、これから。新聞を売らねぇとなぁ…どう売る?」。

     やっと本題。いい仕事にも回り道が必要だ(笑)。


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