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    志学。 

     平日はよく晴れるなぁ…(苦笑)


     子曰、「吾十有五而志干学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」(『論語 巻第一 為政第二』)。

    ⇒子曰わく、「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、七十にして心の欲する所に従って、矩(わく)を踰(こ)えず」。
    ⇒先生はおっしゃった。「私は15歳で学問に志し、30歳になって独立し、40歳になって枠に囚われなくなり、50歳で天命をわきまえ、60歳になって人の言葉を素直に聞けるようになり、70歳になると思うままに振舞っても道から外れないようになった」。

     息子へ。今日は君の15回目の誕生日だ。おめでとう。冒頭に論語の有名な一節を書いたからといって、「孔子も言っている。だから勉強せぃ!」と言う気はない。ただ、15歳ともなれば、自分の〝将来像〟を頭の中には描いてほしいと願う。もちろん、ウッスラボンヤリで構わない。そんなものは時と共に変化するものだし、思う通りに行く方が稀有だ。

     ただ。〝将来像〟を持とうとするヤツと持たないヤツでは、これから差は出てくる。

     〝将来像〟は小学生時代に持ってた〝夢〟とは、ちょっと違う。小学生であれば漠然と「サッカー選手になりたいっ!」でかまわない。でも、15歳の君は、そうはいかない。もう自分でも分かっているとは思うが、君はサッカーの〝天才〟ではない。Jや、県トレ、ナショトレに選ばれるようなエリートには遠く及ばない現実がある。ん? 「そんなヤツには負けねぇ!」という君の姿勢は正しい。父は、そういう君が嫌いではないし、評価をしている。でも。で、あるならば、どうしたらいいか? まで考えているだろうか? そこまで考えて未来の自分の姿を思い描いてみよう。それが〝将来像〟だ。

     そこまで考えろ。それが15歳のスタンダードだ。

     あきらめろっ! と言っているのではない。分かりやすいように、わざと突拍子もない例を挙げよう。例えば、「このままでは、追いつかないと思う。だから、ウマくなるために単身ブラジルに行きたいっ!」 なんて考えが出て来てもいいのだ。そして、行くためには何が必要なのかを自分で調べる。お金はいくらぐらいかかるのか? 食べ物はどんなものがあるのか? 言葉の問題はどう超えるのか? 住む場所は確保できるのか? どんなチームが受け入れをしているのか? 行ったとして、どのくらいのレベルまで上がれば日本に帰ってきてプロの道が開けるのか? そして。その問題の全ては自力で解決できるのか? できないのだとしたら。誰にどうやって、プレゼンをするのか? そこまでの方法論を自力で組み立て、調べ上げ、考える。

     サッカーを例に取ったが。サッカーでなくてもかまわない。ラグビーに転向してニュージーランドへ行く、モンカショーキャリアになるためトーダイ目指す、カブキチョーの〝夜王〟になるため修行を始める、なんだっていい。15なのだから学を志せ。

     〝将来像〟を持つ=「学を志す」とは、そういうことだ。

     これから。いろいろな場面で大人への〝舵切り〟が始まる。例えば、薬の服用書の大人のくくりは15歳以上。これは内臓系の発達は大人と同等のモノになったことを意味する。心身の成長が終わるのは、まだ先のことだが。アタマなんて、まだまだ全然、タリていないし(苦笑)。しかし、自分が身体的にも、もちろん法律的にも大人への階段を登っていることは再認識しよう。

     その意味で。15歳の誕生日は重要だ。

     これからはいろいろな自分の「欲」との戦いになる。性欲、睡眠欲、征服欲…。それら邪な欲に支配されし、将来像を自ら捨ててダークサイドへ落ちてアナキンへの道を歩むのか。変化をさせながらも、将来像を保ち、自分の中での戦いに勝ち、フォース=理力へと換えることができるようになってルークへの道を歩むのか。どちらのスカイウォ-カーになるのかは、君自身の心の強さに懸かっている。小さい頃から言ってきた父の基本線は変わらない。「お前の人生だ。お前が決めろ」。

     将来像を持ち続ければ。未来は開ける。

     ちなみに。父は…。40を超えても、まだ「惑って」いる…(苦笑)。


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