2009.02.25 Wed
「 」。


2月20日付・我が県新聞。2月22日付・我が県報知(我が県・読売読者へのオマケ)。今日、2月25日付・朝日少年少女スポーツ(我が県・朝日読者へのオマケ)。KSCのⅤ報道が出揃った。
3紙とも、楽しませていただきました。ありがとうございました。
まっ、既に〝過去のこと〟だ。チームも子ども達も「次っ!」に向かって走り出している。息子を見ていれば、それは感じ取れる。僕も〝過去のこと〟をこれ以上、書く気はない。ない、が…。前から「機会があれば書きたい」と思っていたことがあって、今回が適当と思うので、〝過去のこと〟を最後に題材として使いたい。
今回のテーマは「報道」だ。
行数から構成、見出し、使っている写真まで含めてのキメ細かい解析か? と思った方、ごめんなさい。報道には憲法で規定された〝自由〟がある。どういう記事をどう書いても、それが事実である以上、その権利を何者も制止することは出来ない。
だが。常に書く側にも自主的な規制はある。例えば、今回のような高校未満の少年チームスポーツ報道では以下のような基本がある。『1.勝ったチームと負けたチームを比べない。2.勝因、敗因を個人に求めない。3.選手のミスに対してフォーカスを当てない。4.勝ったチームを大きく取り上げる。負けたチームは極力取り上げない』。
1.2.3.には説明はいらないだろう(このブログの「41/41」みたいなモノはダメだということ、苦笑)。ただ4.に対してはケッコウ異論を唱える人も多いと思う。「準優勝をもっと取り上げろ!」。今回だって〝この日、勝った〟3位のHAチームの写真はあったが、〝この日、負けてしまった〟準優勝のオレンジJクラブの写真はなかった。
それを「おかしいだろ?」というのはゴモットモな意見だ。
しかし。負けをフューチャーするということは、負けの原因に触れないわけにはいかない。それは、優先順位的に先にある1.2.3.に反してしまう。極端な話、勝ったチームを非難しなければならない場合も出てこないとは限らない。対象が少年である以上、それは〝なるべく、してはいけないこと〟。それこそ、少年スポーツ報道の理念である「勝ち負けが全てではない」から逸脱してしまう。だから、危ない橋は渡らない。よって負け原稿は極力少なくなる。
そんな制限を受けながらの記事であることを考慮して、3紙を見直す。作りもレイアウトも含めて、ともにオーソドックスなものに仕上がりながら、個性はキチンと出た。朝日は〝一般紙らしく〟、報知は〝スポーツ新聞らしく〟、我が県新聞は〝地方紙らしく〟。どれも立派な新聞だ。後の「どれがいいか?」は読者側の好みの問題となる。
僕の好み? そりゃもちろん〝スポーツ新聞らしい〟モノだ(笑)。報知の書き出しはスポーツ新聞の王道を行っている。『優勝へのモチベーションがKSCイレブンの足を動かした。~中略~相手よりも速く、そして豊富な運動量は最後まで衰えなかった』。ウマい。次に書きたいことを具体的に表現している。計算もありながら、筆の勢いも感じる。
「さすがっ!」と唸ってしまう(笑)。
ここからが本題。内容だ。3紙ともに主旨は《KSCは守備を徹底的に練習してきた。そしてセットプレーにも非常に時間を費やしてきた》と書いてあった。果たしてそうか? 中学生だぞ、そんなわけはない(苦笑)。正解を想像で書くならば《攻撃も守備も徹底的に練習してきた。特に守備の意識は全員に徹底された》《試合前はセットプレーを何度も確認した》だろう。
だけれども、僕でも後者のようには書かずに前者のように書くだろう。
皆さんは報道を「事実を伝えるもの」と考えていないだろうか。それは間違いだ。報道は「事実の中から、『記者とカメラマンが好みで切り取った事実』の極々一部を、決められたスペース(もしくは時間)内で伝えるもの」である。例えると、巨大マグロ一本を刺身にするようなもの。大トロ・中トロ・赤身・ネギトロをツマと一緒に盛り、「ヘィ、お待ちっ! マグロですっ!」と出しているようなものだ。その量、組み合わせは記者という〝板前〟の裁量による。それが〝板前〟の腕の見せ所だ。それでも刺身は便宜上〝マグロ〟と呼ばれる。同じものではないのに、だ。つまり、
報道は刺身。マグロ=事実全体ではない。鵜呑みにしてはいけない。
ましてや、こんな個人ブログに書いてある記事なら尚更だ(苦笑)。
記者は、「ウマそうなところに飛びつけっ!」と訓練されている。さらに、その選んだ部位の旨味を引き立てようとする癖(へき)がある。かつ、少年スポーツ報道では選手の〝普段〟を見ていない。番記者なんているはずない。だから、まず見た目で一番ウマそうなところを探すのだ。そして、取材対象に「僕の探したところがウマいところだよね?」という質問を浴びせる。浴びせれば必ず浴びせた質問に対しての答えが返ってくる。それがYESであってもNOであっても、必ずだ。後は、記者は経験という〝レシピ〟に沿って調理を始めればいい。
だからこそ。〝刺身〟を食べる側の読者が〝刺身〟であることを前提に〝マグロ〟を味わう余裕を持たなければいけないと〝僕は〟思う。本当の事実は。〝リアアルタイムで観た者〟だけが知っている。だから。リアルタイム観戦が事実を知る最高の手立てだ。
釣りたてに敵う〝マグロ〟はない。
「そんな時間ないよ~。だから刺身を食べるしかないじゃん!」。そんな人のために。なるべく本物に近い刺身の味わい方がある。「 」=カギカッコの中だけを味わおう。そこには事実がいっぱい詰まっている。人のコメントは変えてはいけないという不文律が伝える側にはあるのだ(「切ってはいけないではない」ので前段後段を飛ばされて意味が変わってしまうことがあることは、今回は置いておく)。だから、「 」はケッコウ信用して大丈夫。面白いから、「 」だけ今回の3紙のコメントを幾つか抜き出してみよう。
我が県新聞:「余裕を持って守備が出来た」⇒息子のコメント。ヘディング空振り以降に許したシュートは後半の2本だけ(新聞の記録より)。我が県報知:「満足はしない」⇒KSC・S主将10番RKクン。ウレシいけど上を目指すと読める。朝日には「辛い練習をしてきた」と語った。厳しい練習が目に浮かぶ。朝日少年少女スポーツ:「練習通りの動きだった」⇒決勝点の7番IZクン。報知には「自信があった」とも同じCKを語った。練習をした証拠だ。
そしてOコーチ。「今のままでは全国は無理」。
なるほどなぁ。指導者は厳しい現実を本音として語る。
相手側のコメントもホントは書きたいが…。コメントを対比させると本質も見えてくる。ただ、今回は少年スポーツ報道の鉄則に従ってやめておく。1つだけ例を書くとすれば。1~4位までの各監督のコメントは、それぞれの育成姿勢がハッキリ出ていて面白かった。KSC・T監督のコメントだけでも書いておこう。「『俺が』が『俺達が』に変わってきた」(我が県新聞より)。
言葉のイキがいい。〝板前〟としての腕が鳴る。
僕なら、ここを大トロとして〝刺身〟を作る(笑)。
報道には間違いもある。報知と朝日の息子のヘディング空振りコメント差には笑えた。報知:「(攻撃パターンはわかっていたのに)ラインを下げるのが遅れてしまった」。朝日:「ラインを下げるのを忘れてしまった」。おそらく同時取材だろうけど。どちらかが〝聞きまつがい〟(糸井重里風)だろう。フツーは、ラインを下げることが遅れることはあっても、忘れることはないとは、思う(笑)。
そういうところも含めて少年スポーツ報道だ。期待をせずに読む側が楽しもう。
ん? でも。もしかしたら朝日の「 」が正しいのかもしれない。
息子なら、あり得る。忘れモノだけは本マグロの大トロ級だから(苦笑)。
- [2009/02/25 23:58]
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