2007.03.20 Tue
「涙の王者」
- 少年サッカー
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明日はいよいよ、11期生の卒団式の日。僕に出来ることは何か?と考えた。マメに写真を撮っているわけではないから、アルバムは作ってやれないし。。。
そうだ! 新聞を作ってあげよう!
某スポーツ新聞にそっくりな新聞を作ってあげた。表は新聞の1面風に。裏は全選手の名鑑風。たくさんの雑感(エピソード)も入れて。明日、卒団式会場で「号外で~す」と配る予定だ。その中の、前文と本文をここにご紹介しよう。多少、我がチームに都合よく書いてあるのは、ほら、内部に配る新聞だから。大きな心で笑って許してあげてください。
前文
おめでとう! 「涙の王者」我がチーム11期生が、今日07年3月21日(祝)、卒団の日を迎える。今やサッカー王国・我が県に、多少だけれどその名が聞こえるようになった我がチーム11期生の歴史は意外にも「涙」の歴史でもあった。涙を通じて培った力で29人全員が未来に向かって大きく高く羽ばたけ !
本文
泣き続けた6年間だった。いつもいつも泣いていた。発する言葉はいつも決まっていた。「次は勝つ。勝って泣いてやる!」。
3年まではライバルチームに勝つのが目標だった。練習試合でも勝てなかった。その度に泣いた。泣かないために練習しよう! 華麗にパスで繋ぐサッカーに対抗するためにドリブルと1対1の力強さを磨いた。泣かないために汗をかこう! 3年の夏休みから朝練が始まった。泣かないために心を強くしよう! 母親の帯同ナシで1泊2日の隣県遠征に出掛けた。泣かないために考えよう! サッカーノートを書き始めた。できることはなんでもやろう! そして実際、なんでもやった。
結果は着いてきた。進級前の3年ちびっこ大会決勝で王者・ライバルチームを相手に引き分け。両チーム優勝。初めての金メダルに選手達は泣かなかった。代わりにコーチ陣が泣いた。
4年の春からは市内・地区を問わず、常に優勝候補の一角に挙げられた。が、涙の歴史は終わらない。優勝は遠かった。ライバル達は順調に勝つ。ライバルチーム、Aチーム、NKチーム…。次々と新しい我が地区チャンピオンが誕生していった。
5年の秋。新人戦県大会の予選を迎えた。涙はまず、ホーム小学校で流された。大会登録選手数は20名。当時の11期生は30人。コーチの発表に10人が泣いた。だが、そこにあきらめはなかった。「県大会に行ってくれ。その時は必ずメンバーに入るつもりだ。だから。負けるな!」。そんな10人の思いを胸にチームは勝ち進む。そして初の我が地区制覇。選手、コーチは笑った。今度は母達が「報われたね…」と感涙にむせび泣いた。
しかし、まだ涙は止まらない。絶対の自信を持って臨んだ県大会はまさかの1回戦負け。再起を賭け、挑んだ全少予選県南大会も沈んだ。雪辱を誓った6年秋の県大会予選も代表決定戦で涙が待っていた。
だが、流した涙と同量の汗は裏切らなかった。最後の我が地区大会となった新聞社旗争奪大会で優勝。最後の市内大会・ライオンズクラブ旗争奪大会も優勝。どちらも〝有終の美〟。6年時の市内公式タイトルで取れなかったのは市長旗大会だけ。今は誰もが「我がチーム11期生はそこそこ強い!」と認める強さを手に入れた。
我がチーム11期生は今日、未来に向けて旅立つ。29のそれぞれの道は遠く険しいものかもしれない。何度も何度も涙を流す日があるかもしれない。だが、涙を恐れることはない。君たちが王者になれたのは、間違いなく、その流した涙のおかげなのだ。涙の数だけ強くなれる。これからもたくさん泣いて。そしてたくさん努力しよう。忘れないで欲しい。
君たちが「涙の王者」であることを。 【文・コーチ】
さて。問題は明日。僕は多分、朝起きた瞬間から、泣いているんだろうなあ。しかも、大声出して、号泣なんだろうなあ。マジで大丈夫だろうか?。
バケツを用意しようか?自分の涙に備えて(笑)。
- [2007/03/20 23:59]
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