2007.02.04 Sun
立春大吉。

僕は1965(昭40)年生まれだ。2006年は男の「本厄」だったわけだ。ん?年が明けたのだから、もう「後厄」でしょって? ちゃいまんねん。厄年なんていう古い概念のものは旧暦で考えなくてはいけない。つまり、
今日は「立春」。晴れて厄が明けたことになる。
思えば。厄年に相応しい一年だった(苦笑)。時系列で振り返ってみる。2月は新人戦県大会の敗戦。4月は嫁のガン。5月に入ると全日本少年サッカー大会予選中の息子のアキレス腱炎(これは7月アタマまで引きづる)。万全の体制で臨んだ秋の県大会予選の負け(まあ、これは実力不足だけど)。11月は僕の勤務体系の変更。翌週には、息子の膝蓋骨脱臼の発症…。厄がどうだこうだの前に、日頃の行いの悪さや身から出たサビだということはジュウジュウ承知ではあるのだが。。。
この際、すべて厄年のせいにしたい!(笑)
節分の昨日は、「鬼は外~っ!福は内~っ!」と家中の邪気を払い(ただし、僕は仕事で帰りが遅かったので家族と遊びに来ていたAクンとYクンがやってくれた、笑)、全員で今年の恵方・北北西を向いて太巻きを一気食いして「来る春」に願いを込めたらしい。僕も家に帰ると玄関の盛り塩をつまみ、小さな声で1人節分をやり、恵方巻も頬張った。その結果、今日は…。
小さいながらも春が来たっ!
まず、11期生①が最後の公式戦・A市ライオンズ旗争奪大会でビシッと優勝。そりゃ危ないシーンは何度もあったが、全試合PKナシの無失点勝利を達成。素晴らしいゲームの連続だった。気持ちの入ったサッカーは見ていて久々にホレボレした。「強くなったなあ」(相対的にではなく、成長したなあと意味で)と思い非常に感慨深かった。また、11期生②の驚くような頑張りも目を見張った。結果は最下位?なんだけれど、PK負けが2試合という内容。何より、「サッカーが楽しい!」という雰囲気がゲームから伝わってきたことは、とてもうれしかった。
そして。息子の「とりあえず」の復活。
粘り強いリハビリ筋トレを頑張り、足型を取って作った専用装具「ソール」を上履にまで入れて。痛みが引いてきた。そして、医者から「試合に出ていいよ」と言われた。ただし、「痛くなったらすぐ止めること。1週間のサッカーの量を減らしながら、まずは『慣らす』こと」と条件を付けられたけど。でもピッチに立てるだけいい。
まずは昨日、様子見の左バック。この日は①と②が同時に試合をしたため、①はセカンド=白ユニ着用。それもあって、まだ、「本気」ムードは漂わない。どうだった?と話を聞くと「急なターンはピキッと来る。左足をインステップ・インフロントで振り抜くと痛い。インサイドは大丈夫。走るのは全く大丈夫」とのこと。
そして今日は、本来のFW。
全開モードでバルセロナタイプ・ファーストユニを着てピッチに立った。
プレーもそこそこ。安定感はないけれど、準決勝・ライバルチーム戦で決勝ゴール。決勝・NKチーム戦も先制弾にワンアシスト!ついでにHコーチとYコーチのご厚意で大会MVP(優勝・準優勝チームのコーチ陣が自分のチームから各1名を選出)までいただいてしまった。「3カ月我慢したのだから。今回は息子でいい。みんながそう思っているよ」(Hコーチ)。お気遣いいただいて、ありがとうございました。
僕と嫁的には例え優勝できなくても、MVPに選ばれなくても、最後の公式戦にバルサユニを着て出場できただけで、「よかったなあ」という気持ちでいっぱい。息子には言わないでいたけれど「小学生のうちは、バルサを着てフィールドに立つことはムリだろう…」と思っていたから。みんなと一緒に大好きなサッカーがやれただけで大・大満足。ホント、うれしい。そして感謝したい。心配していただいたみなさんと仲間達に。
ありがとうございました。
家に帰ってきて、息子が嫁に言ったという。「決勝の終了のホイッスルを聞いて。勝ったんだ!と強く思った。今までで一番ウレシイ終了の笛だった。今日はサッカーをできて本当に楽しかった。お母さん、ありがとうね」。
嫁は一瞬ウルッときたが、「これからでしょ!がんばりな!」と笑顔で答えたという。そして、その話とMVPに選んでもらったことを僕にメールしてきた。
ダメだって。その時間、会議だって知っているだろう。上を向いて涙をこらえた(苦笑)。
- [2007/02/04 22:34]
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