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    美智子皇后、山口智子、新垣里沙ちゃんも。「おめでとう」。 

     どんよりした一日。


     2006年10月20日。今日は坂口安吾の100回目の誕生日だ。生きていれば…だけど。

     安吾は今でも人気が高い作家だ。「オレ、安吾が好きっ!」と飲み屋で一言発すれば、「オレも好き~!」という人が必ず1人いるはず。試してみて欲しい。必ずいるはずだから。誰それ?というリュウ君のために一応、「何ヤツか?」を説明しよう。

     ◆坂口安吾(さかぐちあんご) 1906(明39)年10月20日生まれ~1955(昭30)年2月17日没。小説家。戦前、プロレタリア文学全盛時に異例の芸術派としてデビュー。戦後の昭和21年、「新潮」に「堕落論」(エッセー)、「白痴」(小説)を発表。生きるためには堕落せよ、堕ち切ることで真実の救いを発見せよという訴えは、戦後の主体的な生き方を教える宣言として広く若者達に影響を与えた。「堕落論」によって、はじめて自主的な戦後日本が開始されたといってよい。戦後文学の突破口を作った安吾は太宰治や石川淳とともに新戯作派、無頼派と呼ばれ、戦後乱世のオピニオンリーダーとして、流行作家、評論家として活躍した。(wikiより)

     小学生には難しいか?(笑)。この人はとにかく、破天荒。坂口家は大富豪で「阿賀野川の流れが尽きても坂口家の富は尽きることがない」という意味の里歌が残っているほどの大地主だった。オヤジさんは衆議院議員で、兄ちゃんは新潟日報の社長。なのに安吾は小さい時から悪戯の限りを尽くし、近所でも評判の「悪ガキ」だった。本名は「炳五」だったが、学校の先生から、そのあまりの悪行に怒られ、「お前に『炳』(明るいの意味)の字はもったいない!おまえは『暗吾』(われは暗い)だ!」と言われ、それがペンネームの由来になったという。県立新潟中学を退学時には教室の机に「余は偉大なる落伍者となって何時の日にか歴史の中によみがへるであらう」と彫ったのは有名な話。作家になってからも「ライスカレー100人前出前事件」を起こしたり(しかも、「火宅の人」壇一雄の家で起こした事件、笑)、税金なんか払うか!と国税局と争ったり、競輪の不正を暴いて日自振と戦ったりした。

     作風はというと、僕の高校時代の国語の先生の授業での話が一番言い当ててると思う。「太宰はね、堕ち込んで堕ち込んで、文章書いて、堕ち込みまくって、最後は自殺しちゃう。安吾はね、堕ち込んで堕ち込んで、文章書いて、そこからゾンビのように生き返る。生きる!生きる!そして生きるために、また堕ち込む。でも生きる!」。その通りで、安吾は「絶望は愚か者の結論」とし、絶望して取り澄ますことを嫌い、七転八倒、顛倒混乱、羞恥の底にもがき苦しむことを望む。すごい説得力なのだ。

     だから、今でも人気が高い。

     そして。2006年10月20日。今日は僕の41回目の誕生日でもある。

     15日に「なんでだよ…」と泣いたばかりの僕に今日、会社が更なる試練を正式に誕生プレゼントしてくれた。「担当替え発表します。よってもって、11月から土曜日と日曜日も仕事ね~。頑張って。お前ならばできるよ~」。

     ぐわぁ~。。。それ、死刑宣告に等しい…。

     でも。ここは、安吾にならねばいけない。絶望は愚か者の結論なのだ。生きよう!生きよう!ポジティブに考えよう! 考えてみれば、土日は他のコーチに任せて、念願の平日練習ができるじゃないか! どうせなら他の学年も見ちゃおうか!チビッコのウチからサッカー巧くならせる大きなチャンスじゃないか!

     安吾と同じ誕生日なのだから。僕も、ゾンビになろう(笑)。

     ちなみに。安吾の出生地は新潟市西大畑町。没した土地は僕の田舎です。


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