2005.05.31 Tue
トラウマ
- 少年サッカー
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僕が高校からラグビーに転向した理由。第一に、テレビで見た「慶明戦」(正しくは「明慶戦!)のFW勝負を見て感動したから。その肉弾戦(ステレオタイプな表現だけど)の迫力に圧倒され、「ラグビーってオモシロそうだなあ…」と単純に思ったのだ。
もう一つ。それは、「キーパーをやりたくなかったから」。
小学4年生でサッカー少年団に入った時、キーパーをやる気なんかサラサラなかった。最初の練習の時に、誰もキーパーをやりたがらなかったので、「仕方ない。じゃ、僕がやるよ!」と言ったのが運のツキ。以来、ズ~ッとやらされるはめになった。コーチにも相談した事がある。「イヤだ。。。本当に嫌だ、キーパーをやるのが。でも代わりがいない。。。どうすればいい?」。コーチは一言。「オマエがやるしかないだろ?カラダも大きいし、声も大きい。キーパー向きだよ」。卒団までいたが、ホントに練習に行くのがイヤだった。責任感が僕を、いつも最後に動かし、練習に向かわせた。
中学入学。サッカー部に入った。先輩に同じ少年団だった人がいた。「オマエがキーパーやれ!」。また同じ日々の繰り返し。「イヤだ!」と拒絶しても、代わりがいない。責任感が逆に邪魔をして「辞める!」にもなれない。好きだったサッカーが、どんどん嫌いになっていった。中3になって、自分でメンバーを決められる立場になって後輩のキーパー経験者に守護神の座を押し付けた。だけど、今度は、そんな自分がイヤでイヤで仕方なくなってしまった。更に更に、サッカーが嫌いになった。そこにラグビーと出会った。
ラグビーではフルバックが僕のポジションだった。キーパー同様、一番後ろのポジション。「キーパー経験」が生きて、全体に向かって声をかけることを見込まれてのことだった。最後の砦であることも変わらなかった。でも。一番違った事。自由に走り回る事ができた。フルバックは、キーパーと違って、守るだけではなく、足の速さを生かしての積極的な攻撃参加も「必」でやらねばならないポジションだった。攻撃の切り札といってもいい、フルバックは。一辺にラグビーが好きになった。嫌なことは全部忘れて、ラグビーに打ち込んだ。
子供が生まれて。自分の息子がサッカーを始めた。成り行きだが、僕も、サッカー少年団のコーチになった。僕は、「嫌がる子」をキーパーにしたことはない。「キーパーやりたい子いる?」と聞けば子供は大抵、手を挙げる。次に「ず~っとキーパーをしたい!っていう子いる?」と聞けばホトンドの子が手を下げる。でも、それでも手を挙げ続け、「やりたいっ!オレはキーパーやりたいっ!」という子もいるのだ。そういう子でなくては、キーパーは務まらない。我がチーム11期生には二人の「二枚看板キーパー」がいるが、両名とも「キーパーがいいっ!」という子。彼らはキーパーを実に楽しんでいる。それでも、たまに僕は彼らの意思確認を怠らない。「キーパー、好きっ?ずっとやりたい?」。
好きこそものの上手なれ。イヤイヤやっているものは、絶対に上手になれるはずがない!
「キーパーとして試合に来てください」。ウチの子に、そんなオファーが某クラブから今日、来た。僕に似て、声の大きい・カラダの大きい息子に。サッカーが死ぬほど好きな子だから。僕のように「サッカー嫌い」にはさせたくない。息子よ。まず、君がどう思うか?だ。決めるのは君自身。ここで焦る必要もない。君の人生、まだまだ長いのだから。
あなたのチームのキーパーは、どうでしょう?
- [2005/05/31 22:30]
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