2006.03.14 Tue
そういえば何でだろう?

「パパ~!? どうしてパパは会社に行くの~? 」。「パパ~!? どうしてチョコはおいしいの~? 」。「パパ~!? どうして雨は降るの~? 」。「パパ~!? どうしてパパとお兄ちゃんはサッカーが好きなの~? 」。4月から年中さんになる次女が「なぜなに小僧」の時期を迎えている。とにかく、なんでも「どうして~? 」と聞いてくる。
3番目の子どもだから、答えるこちらも手慣れたもの。「なんでだろう? パパも次女ちゃんと一緒にお家にいるほうが楽しいのに、どうして会社に行くのだろう? 行かないと何か困ることがあるのかな? 考えてみて」。「なんでだろう? チョコはどんな味がする? パパに教えて」。「なんでだろう~? 雨が降るとどうなるのかな? 次女ちゃんはのどが渇いたらどうする? 」。「なんでだろう? 次女ちゃんが好きなことをやっている時はどんな気持ちになる?」。こんな調子(笑)。
不思議なことに、この「なぜなに? 」は小学生になると減ってくる(もちろん、個人差はある)。考えられる要因は2つ。まずは、「聞くのが面倒になる」こと。知らなきゃ知らないですむから~という知恵がついてしまう。んな知恵つかなくてもいいのに(笑)。まあ、これは、ちゃんと答えない大人にも問題がある。覚えががないですか~、「今、忙しいから。あ・と・で!」と強い不機嫌な口調で言ってしまったことに。
もう一つは、「教えられることに慣れてしまうこと」。疑問を持つまでも無く、先に色んなことを学校でも塾でも教えてくれるから聞く必要がなくなってくるのだ。なぜだろう? と考える前に覚えなくてはいけないことが多すぎてしまっている現状がある。僕は「ゆとり教育」にも反対だが「考えさせない教育」にも反対である。
モノを教えることとは考えさせることだ。「こうしろ! 」という教え方でモノを覚えた子は、ビックリするほど応用が利かない。逆に「なぜだろう?」から答えを導いた場合は驚くほど応用力がつく。例えばインステップキック。「足の甲で蹴れ!」と教えれば、足の甲で蹴るようにはなる。でも、それで終わり。これを「なぜ、足の甲で蹴るのだろう? いいじゃん?別に。ボールが蹴れればいいのだから。甲で蹴ると何かいいことあるのかな? 」と聞いてみると。。。色んな答えが帰ってくる。最終的には、「足の中で比較的広く硬い部分に当て、まっすぐ降り抜くと強いボールが蹴れる」という結論に到達すればよい。
途中の脱線は大歓迎!「じゃあ、硬けりゃいいのか? 」となれば、「他に硬いところはどこにある?」と、なり「かかと!」と言われればヒールキックの話になるし、「頭!」と言われればヘディングの話になる。考え続ければ、答えは無限大。そのうちに、あれやってみよう!これやってみよう!という気持ちになる。「なぜ? 」を増やし、「理由」も固定観念にとらわれず必ず着けてあげる。これが論理的思考のはじまりなのだ。
まっ、逆の「直感」 「感じろ~」もすごく大切なんだけど。その話は、またの時に。
今朝、次女に聞かれた。「パパ~!? どうしてパパはおうちの中ではオズボンを履かないでパンツだけでいるの~?」。え~っと。。。さすがに答えに詰まってしまいました。まだまだ、修行が足りない僕も(笑)。
- [2006/03/14 23:45]
- 少年サッカー 生活・学校・勉強のこと |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
トラックバック
この記事のトラックバックURL
https://halusaka.jp/tb.php/226-704f06e8
- | HOME |