2006.01.05 Thu
心によくて、頭にいい。

僕の両親がエライ!ところは、子供の頃の僕に徹底的に、半ば強制的に読書の習慣を植え付けてくれたことだ。夏休みになれば目の前に、ドーンと僕の前に本を20冊以上おいた母。まあ、もちろん名作ばかりだけど(笑)。父は、厳格な人でいつも怒っていたが(今は違う、笑)“本さえ読んでいれば”決して文句を言うことはなかった。さらに2人ともスゴイのは、僕が読んでいる本にケチをつけることは全くしなかった。そりゃ、与える本は前述のような本ばかりだったが、親父の本棚にある宇能鴻一郎の官能小説だろうが、大藪春彦のバイオレンスだろうが、月刊小説宝石だろうが読むことに関しては絶対にダメとは言わなかった。「世の中に知っちゃいけない知識はない!」が父の口癖だった。
おかげで、濫読・量読小僧、そしてかなりのマセガキに順調に育った。小学校の図書館の本は、ほとんど読み尽くして学校の側にあった市立図書館で毎日のように本を借りに行った。1時間以上歩く「越境通学」時に、友と別れてからはズッと本を読んで歩いていた(危ないよなあ~)。勉強なんて、ほとんどした記憶がない。今と違ってゲームなんてものはなかったから(中学生になるとスペースインベーダーが登場する)、友達と遊ぶ以外は、暇さえあれば本を読んでいた。中学生1年の時に「青春の門」を読んだのと、栗本薫(中島梓)に憧れて“ワセダに行こう!”と思っていたなあ、そういえば。
小学5年生くらいになるとサッカー少年の親御さんたちは、「成績」が気になってくるらしい。我が県辺りだと「お受験」組もケッコウいるし。今まで「サッカー命」だった子が「塾のテストがあるので試合に行けません」なん言ってきたりする。僕はそれも否定しない。これも前に書いた。どこで頑張るか?だもの。小学生の時に勉強すれば、その先、楽なのも確か。人ぞれぞれでいい。ウチは違うけど(笑)。
僕の教育論は「読め!書け!」。小学生の時に絶対やらなきゃいけない勉強なんて「九九」と「漢字の書き取り」程度(と僕は思う)。理科?社会?んなもの、み~んな本に書いてある。ニュートンとアエラでも読めばいい。実証の意味での見学・実験・観察は必要だけど。算数?九九ができりゃな何でもできる。あとは知らなきゃいけない定理・公式を覚えればいい。それだって、教科書を100回読んでりゃ、嫌でも頭に入ってくる。
ドラゴン桜ではないが、鍛えなきゃいけないのは「国語力」。中学・高校で勉強ができる子に共通しているのは「読む力」のある子(僕の経験上)なのだ。数学の問題を出題者の意図にを考えて解くには「読む力」が必要。英語も「話す」ことは別だが、長文読解と英作文は多少の単語力さえあれば、「読む力」で満点が取れる。知らない単語、構文があっても「読む力」で「こうじゃなきゃ話がおかしくなる」と推測すりゃいいのだ。ちゃんと問題はそう作ってある。
勉強とはなんぞや?それは、「できなきゃいけないことを減らすこと」ではなくて、「知らないことを減らすこと」。知っていることを駆使して自由な発想で考えられる人が「勉強のできる人」なのだ。そのために小学生のうちに必要な勉強の要素は、「知識を増やす習慣をつけること」と「自由な発想力を失わないこと」と「自分で考える力をつけること」。読書には、その要素の全てが含まれる。「竜馬がゆく」を読破すれば少なくても、江戸末期の歴史を知り、自分だったらどうするだろう?と考えるだろう。決して缶詰めで勉強してテストを受けることでは、そう考えないし、その力は養われない。
しつこいようだが、「と、僕は思う」(笑)。
塾もテストもいいけれど。決して否定はしないけど。「心と頭にいい本」を読む。そして自由な発想をしながらサッカーをして、一つの目標を苦楽を共にしながら作る友達が小学生には一番大事な気がするのは、僕が古い人間だからなのかなあ。「んな、甘いもんじゃない!」お叱りを受けちゃうかなあ。。。
まあ、塾も子供の社会だし。そういう時代だし。結論はあやふやがいいかも。
「竜馬がゆく」が読みたくなった。買って帰ろうっと。
- [2006/01/05 16:11]
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