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     2010年01月 

    息子、交通事故に遭う。兄弟。22日目。 

     日向は暖かいが、日陰は寒い。


     朝8時。A市運動公園サブグラウンドに着いた。JKSチームさん主催の練習試合に呼ばれたためだ。2年生の他に、3年生、5年生も呼んでいただいた。ありがとうございます。

     2年生の試合は8人制15分1本を7試合。相手はJKSさんA・B、KTチームさんA・B、そしてAAさん。どこも名だたる強豪ばかり。こういう試合は、とても勉強になる。子どもたちには、もちろん、コーチの僕らにとってもだ。他のチームは、どんな練習をしているのだろう? 目を皿のようにして他チームの練習を観察する。 結果? 3勝3敗1分け。まぁ、こんなもんだろう。課題は山積みだが、その分、楽しみでもある。

     コツコツと。コーチと一緒に勉強を続けていこう。

     他コーチに後を任せて、12時に会場を出て、ホーム小学校に寄った。1年生に「優勝おめでとうっ!」と声を掛ける。みんなニコニコだ。今日も全員が練習出席。そうそう、驕らずに弛まなく。「一生懸命ならば、どこまでも伸びることができる。まだまだ、君たちより強いチームはたくさんあるけれど。がんばろう」と言って、家に帰った。

     コツコツと。コーチと一緒にサッカーを楽しんでいこう。

     家では、娘2人が既に準備をして待っていた。「早く。お兄ちゃんのところへ行こうっ!」とせがむ。実は娘2人を連れて行くのは3回目だ。一度目は〝7日目〟に連れて行った。その頃には、顔の腫れもだいぶ落ち着いていたから、〝大丈夫だろう〟と思っていたが、次女はその場で泣き出すし、長女は帰りの車で泣き出すし…(苦笑)。まだ刺激の強い〝顔つき〟だったのだと思う。2度目は手術の前の日。「明日、がんばってね」と2人で兄にエール。しかし、返事のない兄にまだ不安を持っていたらしい。

     前の2回と今回は明らかにテンションが違う。
     話ができる息子に早く会いたい気持ちが伝わってくる。

     病室に入ると、息子の方から声を掛けてきた。「長女。次女」。2人は、うれしそうに、お兄ちゃんにまとわりつく。その後、ナースステーション前のちょっとしたロビーで3人でポケットゲームDSに興じる。長引きそうだな(苦笑)と思い、僕は席を立った。1人で駅前の本屋に行き、時間を潰して帰ってくる。その間、1時間。ロビーには3人の姿はなかったが、ベッドの側で3人でくっついて、本を読んでいる。

     「兄弟っていいな」。
     
     帰りの車で僕が言うと、嫁が深く頷く。嫁は一人っ子だから、余計にいいなぁと思っているのかもしれない。兄弟って不思議だ。息子が退院すれば、きっとまた3人でケンカもするだろう。罵りあいもあると思う(笑)。それでも、兄弟は兄弟だ。仲直りをして、ケンカをして。またうち解けて、ケンカして。その繰り返しでいいんじゃないか。その積み重ねが絆を強くすると僕は思う。そして、今日のように苦しいときこそ、仲良く、兄弟3人で生きていって欲しいと思う。

     世界中で同じ血の通った人間は3人しかいないのいだから。
     コツコツと。一生懸命、励まし合って生きて行ってほしい。

     積み重ねることの大事さを深く感じた22日目だった。




    息子、交通事故に遭う。発声。21日目。 

     暖かい。春のようだ。


     息子も大部屋に移ったことだし、そろそろ僕らも生活のリズムを元に戻そうっ! と嫁と話しをした。手術も無事終わった今、過剰な心配をすることは彼のためにならない。「とっとと、治せっ!」光線をビジバシ浴びせる、それが本来の我が家の教育方針だ。

     そもそも、放っていても、ケガは癒える。
     江戸時代以前はそうしていた(笑)。
     まぁ、そのくらいの気持ちっ! で。本人も親もいようということだ。

     なので。今日から僕は我がチームに復帰っ! 朝7時半、ホーム小学校で1年生をKMJさん主催大会に送り出す。「コーチは行けないけど、オマエラ、何気に強くなっているよ。いつも通り、サッカーを楽しんでおいでっ!」。

     「はいっ!」。元気な1年生の返事。
     気持ちがいい。癒やされる(笑)。

     9時。準ホーム小学校に2年生の練習を見に行く。「コーチだぁ! コーチが来たっ!」とヤンチャ2年生どもが騒いでくれる。うん。君たちのこと放っておいてゴメンなぁ…。また、今日から、コーチと一緒にサッカーを楽しもうっ! というと、みんな、キラキラした目で「はいっ!」。やっぱ、我がチームはいい。子どもがサッカーをやらされていない。本当にいいチームだ。

     現在、1年生は9人。2年生は11人。
     まだまだ、団員募集中です(笑)。
     試合相手も募集中です(笑)。

     午後は、僕の母と一緒に息子のところへ。荷物を置きながら、息子の方を見ずに、「誰か見舞いに来てくれたか?」と聞くと「今日は誰も来ていないよ~」と聞き慣れた声で返事が返ってきた。

     へっ?
     おぅ! 話せるのかっ! 

     見ると首には昨日までと違う形の器具が付いている。そういえば、「順調ならばスピーク・カヌーレに替えます」って昨日、医者に言われていた。3週間ぶりに聞く息子の声は。当たり前だが、やっぱり息子の声だった。時期が来れば、声が聞ける。だって、今やタダの顎の骨折なのだから…大げさになることはない…と思っていたが。

     ダメだ…。やっぱり涙が…。
     嫁と来なくてよかった(笑)。

     病院には小一時間もいなかった。早く、嫁と交代してあげなくてはいけない。彼女の方が僕よりも、息子の声を早く聞きたいと思っているはずだ。そうだ、明日は娘2人も連れてきてあげよう。そう考えながら、家路を急いでいると、1年生に帯同したKコーチからMAILが入った。

     「1年生、優勝しました。
     みな、『コーチに報告するんだっ!』と言っています。
     いいチームになってきましたね」。

     車を止めて。また涙を拭いた。
     子どもって、最高だな…と思った21日目だった。



    息子、交通事故に遭う。大部屋へ。20日目。 

     しかし。雨が降らない。


     異常に歯が痛い…と思っていたら、奥歯がすごい勢いで一気に腫れてきた。これは放っておく状態ではないな…と思ったが、とりあえず息子の病院へ行ってから、家の近くの歯医者に行くことにした。

     病院に付くと、部屋のネームプレートが息子の名前でなくなっていた。そういえば、嫁とMAILでやりとりをしたのを忘れていた。「『大部屋が空いたので移ることが可能ですが、どうします?』と先生に聞かれた。私の経験からいうと、大部屋の方が気が紛れます。彼にとっては、〝社会復帰〟への準備になるし。どうかな?」「異議なし。大部屋へ」。1人でいることは楽だが、甘やかす必要はない。世代を超えて、人と話すことは彼のためでもある。

     移動先の610号室は?…と病室を探す。あった。ナースステーションから一番遠い大部屋。しかも、入ってみると一番奥の窓際だった。「手の掛からなくなった患者」になった証拠だ(笑)。ちょっと安心。

     歯の痛みが少し和らいだ。

     奥に進み、「どうだ? 手術の後は痛むか?」と息子に聞く。返事は横への首を振りだった。嫁が「思ったよりも、へっちゃらだったそうです(笑)」と付け加えた。「さっきまで、T監督が来てくれていたの。楽しそうに筆談していたよ」とさらに続けた。そうか。本当にありがたい。少しでも早く復帰したいと本人も思うはずだ。

     ありがとうございます。
     また歯の痛みが少し和らいだ。

     30分ほどで、嫁と病院を出で家に帰った。すぐに歯医者に連絡を取り、無理矢理頼み込んで診てもらうことになり、自転車で急ぐ。とはいえ、慎重に。僕まで事故に遭うわけにはいかない。角では左右をキッチリ確認。5分後に着いた。早速、診てもらう。「う~ん。これ、疲れからきてますね~」と医者に言われる。そうなんだ…。治療終了後、「先生、歯槽骨って、再生しないんですか?」と聞いてみた。歯医者は「しません。もし、歯槽骨が再生したら、世の中から、歯槽膿漏という病気はなくなりますよ」と言われた。なるほど。その後、最近の〝入れ歯事情〟をネッコリと聞いた。時代はどんどん進んでいて、入れ歯の進歩も著しいことを聞いて、安心をした。

     歯の痛みが和らいだ。

     家に帰って、食事して、早く寝よう。そうすれば明日は痛みもなくなるだろう。
     口の中の〝歯医者の匂い〟が心地よい20日目だった。


    息子、交通事故に遭う。手術。19日目。 

     雨予報が…。降らず。歯が痛い。


     無事に手術が終わった。
     よかった。

     手術は、2時間半の予定だったが、4時間ほど掛かった。やはり、1週間延ばした影響で、すでに骨が再生を始めていて、それを剥がす作業が手間となったらしい。「若い証拠ですっ!」とドクターは笑ってくれた。本当にすいません、こちらのワガママで余計な手間を取らせてしまって…。

     深く感謝です。

     手術前の1時間。病室で息子は〝寝たふり〟を続けていた。何と話し掛けても、応えない。とはいえ、無視を決め込むことはさすがに気が引けたのだろう。ひたすら目を閉じて「僕は寝ています」というポーズを決め込んでいた。よほど、怖かったのだろう。

     15歳。まだまだ子どもだ(笑)。

     迎えに来た看護士さんは、面接に付き添ってくれた方だった。緊張気味の息子に対し、明るい笑顔で僕が一番聞きたかったことを聞いてくれた。「緊張しているの? 面接直前とどっちが緊張している(笑)」。それに対し、自分を指差して「今」と息子は表現した(笑)。「試合より緊張しているか?」と続けた僕には「うん。赤J戦よりも」とノートに記す。
     
     そうか。それは赤J戦よりもいい経験の証拠だ(笑)。

     全身麻酔経験を息子に先に越された19日目が終わった。





    息子、交通事故に遭う。欲張らない。18日目。 

     僕も歯が痛い。


     人間というのは、欲深いイキモノだなぁ…とつくづく思う。
     自分の欲深さに昨日からイヤ気が差している。
     
     実は、昨日のカンファレンス、書いていないことがある。
     「歯」の話だ。

     「先生。顎が治ってからの歯の話を聞かせてください。インプラントですよね?」。

     「……。インプラントには、ネジを埋めるための土台となる歯を前後から支えている歯槽骨が必要です。が、息子君の場合、この前の分が上下とも失くなってしまいました。歯槽骨は再生しないのです…。なので、インプラントをしようとするならば、骨を移植する必要があります。普通は親知らずの部分を取って、移植しますが…。上下とも4本の長さはキツい…。腰の骨を取っての移植となるでしょう。期間は定着するのに3カ月、そこからインプラントに3カ月…」。

     「えっ? えっ? 新学期に間に合わないってことですか?」。

     「インプラントまで一気に進めれば…の話です。極端な話、1年後でも3年後でもインプラントのための手術はできます。慌てる必要はないです。インプラントに移行するまで、入れ歯で対応すればフツーに生活できます。ただし、移植の歯槽骨は厚さが足りません。見た目、歯茎が凹んで見えます。なので、インプラントも人工歯茎付きのインプラントにすることになります」。

     はい…。夫婦で落ち込んだ(苦笑)。

     家に帰って嫁と話した。俺達、なんて欲深いのだろう。事故直後、生きていてくれればいいと思った。命の無事が分かると、手足の無事を確認した。その後、後遺障害を心配した。それがないと分かると、受験のことが気になった。それがクリアされると、今度は「歯」だ。一瞬でも「入れ歯じゃカワイソウだ…」と思った。

     歯がないことを恥ずかしいことと思った自分達が情けない。

     15歳の少年が、前歯の上下8本、カパッと外れる入れ歯で対応している姿はどうなのか? と考えること自体が間違いなのだ。生きているのだから。歯ぐらい、どうってことない。70歳を超えれば、ほとんどの人が総入れ歯だ。たかだか55年、それが早くやってきただけ。入れ歯でサッカーができなくなるわけではない。もっと激しいスポーツのラグビー、アイスホッケー選手で入れ歯の選手なんてザラだ。

     笑いたいヤツには笑わせておけばいい。
     入れ歯で壊れる恋ならば、ロクな女じゃない証拠だ。
     「アナタのポリデント使っている姿が好きっ!」という子を息子が選べば済むことだ。

     生きているのだから。治ればサッカーもできるのだから。これ以上、欲張りになるのはやめよう。心の中にしまっておけばいい、このブログに書くことではないと思った自分を恥じよう。起きたことは起きたこと。大事なことは、キチンと自分を持って生きていくことだ。欲をかかないで。人に左右されずにウチの家族は生きていきたい。

     とはいえ。息子に話すタイミングは考えたい。事故後3日目に初めて自分の顔を鏡で見て、相当、ショックを受けていたこともある。まだ、15歳の少年なのだから。それも自然のこと。長い入院生活だ。退院までにシッカリ伝えれば済むことだ。とにかく。欲張りにならずに、進んでいこう。

     なので。これを読んだ方が見舞いに来ても「入れ歯」の話は、まだナシです(笑)。

     「3歩進んで2歩下がる。でも1歩進んでる。それでいいじゃない?」。
     そう笑う嫁の顔に、いい女だなぁと不覚にも思ってしまった18日目だった。



    息子、交通事故に遭う。手術カンファレンス。17日目。 

     雨が降らない。ノドが痛い。


     18時30分に病院に着いた。「木曜日の手術の細かい説明を行いますので19時に来てください」と医者に言われていたからだ。1階の自販機で「飲むヨーグルト」を1本買って行く。「なるべく味の付いたモノが飲みたい」という贅沢に応えてやろうと思ったからだ。カロリーオーバーにならないように、一日に摂ったものは全て記録している状態だが、まぁ、このくらいは許されるだろう。

     ヨーグルトを飲んでいる息子を眺めていたら、看護士からお呼びが掛かった。時計を見ると19時。カンファレンスルームに向かう。丸い椅子に座り、医者の説明を聞く。最初に大きなレントゲン写真を見せられる。口元から真っ直ぐキレーに顎骨は割れていて、一番先に来ると河口のように細かく割れているのが分かる。医者が説明を始める。

     「骨を合わせて、2カ所、チタンプレートで止めます。上部は小さめのモノ、下部は大きなモノになります。先の骨片は取ります。このぐらいならば再生します。若いので骨の回復も早いでしょう。夏休みにはプレートを取るため、もう1度、入院してもらうことになります」。

     なるほど。手や足と同じ治し方をするのか。

     「手術時間は2時間半ぐらいかな。次にリスクの話をします。普通は跡が残らないように、口の中を切ってやるのですが…。息子さんの場合、口内のケガが激しいのと、完全に割れている骨をシッカリ止めるために下顎の部分を切って、患部を治すことになります。ですので、傷跡は残ります」。

     男ですから。親も気にしませんし、本人も気にするタマではないです。

     「(笑)。ただ…。口角に麻痺が出る場合があります。顔面神経の1本が走っているところですので…。神経自体は絶対に切りませんが、影響が出る場合があります。全体の3割~4割位の方に出ます。とはいっても、その麻痺も一時的なもので1年以内に治ります」。

     元・首相くらいですか? との問に「もっと軽いです」とのこと。
     治るのならば、気にしません。
     
     病室に帰り、麻痺の話は抜きにして、息子に概要を説明した。「ふ~ん」という感じで聞いている。「治すために手術をするのだから」と最後に付け加えると笑顔が返ってきた。あぁ、そうか。やっぱ、コイツ、怖いんだ手術が。そうだよなぁ、まだ15歳の少年なのだから。

     まっ、これも経験だと納得させた17日目だった。



    息子、交通事故に遭う。流動食。16日目。 

     肩の凝りがヒドい。


     会社から病院に直行すると、息子が夕食を取っていた。昨日から、点滴を抜き流動食が出ているとは聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。今日のメニューは…。おもゆと味噌汁。そもそも〝今日のメニュー〟なんて存在しない。暫くは、この献立しかない(笑)。

     おもゆと言っても、見た目は「米の磨ぎ汁」。
     味噌汁は「具なしの味噌風味のお湯」。

     これを自分でスプーンを使って口の中に流し込む。今、彼は口が開かないのだ。ワイヤーで歯の間を縛る「歯間固定」と上下の顎を縛る「顎間固定」をしているからだ。その状態にも関わらず、その食事を彼は〝あっ〟っという間に、平らげた。「それしかないのだから、もっと味わえばいいのに…」と嫁が苦笑する。「美味しいのか?」と聞くと「美味しい」と文字が返ってきた。2週間も点滴だけの生活が続いたのだ。米の磨ぎ汁でも極上のご馳走なのだろう。

     そういえば、コイツ、スッキリしたなぁ。体重は何Kgぐらいなのだろう? と思ったところ、丁度、看護士が「量らせてください」と体重計を持ってきた。結果、72.5kg。年末に体重を聞いたときに、「78kgぐらい」と言っていたのを覚えているから、だいぶダイエットに成功したことになる(苦笑)。

     まっ、モノは考えようだ。
     ムダなものを削ぎ落とし、もう一度、鎧を再構築する準備と思えばよい。

     治ったら、好きな鰻を最高級の米で死ぬほど食べさせてあげようっ!
     食器を洗いながらツブヤいた16日目だった。


    息子、交通事故に遭う。高校合格。15日目。 

     闘えば。道は拓かれる。


     抱き締めた。十年ぶりに頭を撫ぜた。その顔は〝本当に?〟と聞いてきていた。「本当だよっ!」。瞬間、彼の顔が紅潮した。手を伸ばし、バンザイのポーズ。

     声を聞けないのが残念ではあった。

     息子が第一志望の高校に合格した。1つ。たった1つだけだが肩の荷が下りた。ダメだった場合のシナリオを実行する覚悟はできていた。それが今の彼にはケッコウ、キツいプログラムだっただけに。この喜びは大きい。

     おめでとう。

     正月に県・一の宮の神社で買い求めた、片目だけ入っていた白い合格ダルマに目を入れさせた。彼の受験番号が掲載されたPDFをプリントアウトし、病室に飾った。そして。ナースステーションに報告。歓声が上がる。受験会場に付き添った看護士が叫ぶ。

     「すごいっ!やったねっ!おめでとうっ!」。

     昨晩22時。自分の入試の時よりもドキドキしながらHPを見た。そこに暗記した受験番号は〝あった〟。それでも信用できなかった。嫁に受験票を持って来させた。HPのPDFと見比べる。○○○○○。確かにその番号はあった。嫁は泣いていた。僕も少しだけだが涙が出た。これで、カラダを治すことだけに専念させられる。その高校に受かったことよりも、そのほうが嬉しかった。こんな状況だから。行ける学校があればどこでも良かったのだ、僕ら親としては。なのに、行ける学校が彼の望んだ高校であれば、これは文句のつけようがない。

     病室に戻り、座らせて話をした。
     「改めて。おめでとう。ただし、これはゴールではない。スタートだ。厳しい未来の幕開けだ。心して臨まないといけない。今から、言うことをシッカリと心に刻め。同じことは2度ということはない。こんな状況の中でよく頑張った。オマエの根性に敬服する。ただしっ! 勘違いをするな。この合格は、オマエの力だけで勝ち取ったものではない。3人の師の励まし、多数の友の応援。そして医者と看護士の努力。先方の高校の配慮。どれが欠けても、成し得なかったことだけは覚えておくように。人は1人では生きていけない。感謝の気持ちをシッカリと持て。これは人として一番大切なことだ。絶対に忘れないように。

     それが第1の父の願いだ。

     第2だ。この際だから、言っておく。今回の事故、オマエだけが被害者とは決して思うな。オマエを跳ねた人だって被害者だ。好き好んで、事故を起したわけじゃない。細心の注意を払わずに自転車に乗ったオマエも反省しなくてはならない。人を決して恨むな。恨むなら自分を恨め。そして、逆に自分の幸福を喜べ。術後、1カ月でサッカーのトレーニングは再開できる。こんなに嬉しいことはないだろう。生きてさえいれば、未来は切り開くことができる。〝あきらめる〟ことの愚かさを8本の歯と顎の骨折から学んだと思えば安いものだ。相手のことを思いやれる人間になれ。

     それが第2の父の願いだ。

     3番目。ずっと病室にいることを無駄にするな。いい機会だ。本を読もう。濫読でいい。推理小説、世界の名作、純文学、大衆小説、エロ小説、なんでもいい。読めっ! 読みまくれっ! この期間の読書が必ずオマエの高校生活、その先の人生の助けになる。本は心の〝クスリ〟でもある。オマエを成長させてくれることに疑う余地はない。

     第3の願い。わかったか?

     4番目。退院したら、徹底的に自分のカラダを追い込め。事故前以上のカラダを作れ。オマエが選び、進むことになった学校は決してサッカー強豪校ではない。だけれども。あきらめる必要はない。強い心が奇跡を起すことは、KSCで学び、今回また経験をしただろう? まずは自分に負けないこと。これが自分の使命だ! くらいの気持ちでサッカーに邁進してほしい。誰に対しても、技術で負けても、心の強さでは負けない君でいてほしい。そのためには自分を極限まで追い込み、元のカラダ以上にフィジカルを鍛えなければいけないことは自分でわかるだろう。そうしなければ、「ユース年代」という土俵にさえ上がれない現実をシッカリと見つめよう。

     これが第4の願いだ。以上。

     とにかく。おめでとう」。

     最後まで真剣に聞く目が印象的だった。大丈夫。こんな苦難でさえ、力にできるのだから。やろうと思えば、なんでもできる。息子よ。それがオマエの最大の武器だということを決して忘れるな。3年後。どれだけ全国に近づけるか? を楽しみにしている。一緒に合格したKSCの盟友・YNクンとともに、闘ってくれ。一番のライバルは今まで味方だったKSCの面々だ。厄介だぞ。オマエ同様、心がすごく強い。その戦いは楽しみだ。

     未来の光が端っこだけだが見えた。
     その輝きに向って歩き出そう。 

     喜びに満ちた15日目が終った。



    息子、交通事故に遭う。千羽鶴。14日目。 

     今日もたくさんの人が見舞いに来てくれた。ありがとうございます。


     事故に遭って丁度、2週間が経過した。顔の腫れも引き、口を閉じていれば、ほぼ「事故前の息子の顔」に戻った。顎の骨折も外見からは分からない。ただ、口を開けると…。痛々しさは、歯が入るまでは残るのだろう。

     そんな状態の息子だが。元気だ。喋ることはできないが、身の回りのことは全て自分で行っている。「少しでも、早く治りたいのならば、人に頼ったり、機械に頼ったりはしないこと」という僕と嫁の言葉を忠実に守っている。「早くサッカーをしたいっ」「早く学校に行きたいっ」。その思いが彼の行動の原動力となっているのは確かだ。

     この2週間。多くの友達が見舞いにやって来てくれた。正直に書くが、僕は、最初、友達に見舞いに来られるのは息子はイヤがるかもしれない…と思っていた。受験を前にして、大ケガを負った15歳の少年の心を思えば「元気なみんなの姿を見るのがツラい」と思うのでは…と思ったからだ。だが、それは杞憂だった。友が来た時の彼の顔は、とても明るい。話せなくても、みんなと会えることがとても力になるという。

     友達っていいね。
     僕は、たくさんの友達がいて、よかった。
     クラスの仲間、少年団の仲間。ライバルチームの仲間。
     そして3年間ともに汗と涙を流したKSCの仲間。
     みんなが「頑張れ」と言ってくれる。
     それで頑張らなければ、僕じゃないよ。

     そうか。よかったなぁ。これからも友を大切にしろよ。

     うん。

     事故に遭って。自分がどれだけ愛されているのかが分かった。
     お父さん、お母さん、妹2人。ありがとう。
     涙を流して励ましてくれた担任のS先生、塾のT先生。
     そして大好きなカントク。ありがとう。
     そして励ましながら、いつも通りに接してくれる友達。
     笑って、未来を語って、「早くサッカーしようぜっ!」って、
     みんなが言ってくれる。すごくうれしい。
     早く治さなきゃ、ね。
     僕もみんなのようになりたい。
     人を笑顔で愛せる人に。困っている時に励ますことができる人に。

     息子の病室は今、千羽鶴だらけだ(笑)。たくさんの鶴が彼を元気付け、見守ってくれている。師の大切さ。友のありがたさ。色とりどりの鶴が、そのことを語っている。ありがとう。ありがとう。みんな、ありがとう。鶴を見るたびに、僕も嫁も、そして息子も清清しい謙虚な気持ちになることができます。

     本当にありがとうございます。

     22時。運命の合格発表。それを見る前にどうしても書いておきたかったこと。
     「みんな、ありがとう」。

     謙虚な気持ちの14日目だった。


    息子、交通事故に遭う。受験当日。13日目。 

     寒い日だった。


     早めに嫁と病院に向かった。今日は、緊張の一日だ。僕らの思いは、ただ1つ。無事に。ひたすら無事に帰ってくること。そこは、息子の思いと多少、ズレる。どんなに鬼のような親だと思われても仕方がないことを僕らはするのかもしれない。ただ、それは愛する息子が望んだことだ。合格するかどうか? はさておいて。望んだことを陰からサポートするのも親の役目だ。あとは彼の力による。

     息子も僕も嫁も。
     〝今〟しなければならないことを全力でやるしかない。

     外出の準備が始まる。点滴を抜く。熱を計る。丁寧に気管の痰を吸引器で抜く。そして、カヌーレ(首の呼吸器)を汚れていないものに交換する。着替える。息子の顔に笑みが浮かぶ。サラサラと筆談用ノートに文字が走る。

     「楽しい。試合前みたいだ」。

     看護士が迎えに来た。病室を出る。ナースステーションから声が飛ぶ。何人もが声を掛けてくれる。「がんばってっ!」「がんばって!」「がんばれ!」「がんばれ!」「みんなで応援しているよ~っ!」。深々と頭を下げ、エレベーターに向かう。1階に付き、駐車場で待つ救急車に乗り込む。3人のドクターが見送りに来ている。付いていく看護士に何度も何度も安全に関する打ち合わせ注意を繰り返す。たぶん、昨日も同じことをしたに違いない。最後にドクターは息子に声を掛けた。

     「がんばれっ!」。

     動き出す救急車。僕も同乗した。国道をK市ICまで。そこから高速道路。片道の所要時間は1時間30分。それが、この旅の行程だ。嫁は…。我が県・一の宮の神社にお参りに行くという。「普段、神は信じないけど。今日は一の宮さんに祈って待っているから」。サイレンを鳴らして救急車は走りだした。

     予定の1時間30分後。無事に目的の高校に到着した。吸引器で痰を抜き、面接会場へ向う。万が一のために看護士は付いていく。僕は救急車で待つ。闘いの場へ向かう息子に一言だけ掛けた。

     「GOOD LUCKっ! 楽しんで来いっ!」。

     40分後。息子は帰ってきた。痰を再度抜き、帰路に就く。どうだったか? は一切聞かない。聞いて何かが変わるわけではない。そしてまた、1時間30分が経過。無事に病院に到着した。ナースステーションが沸き返る。「お帰り~」「お帰りなさ~い」「お帰りっ!」「お帰り。よかったね」。その声にに対し、「ありがとうございました」。親子3人で深々と長い時間、皆さんに頭を下げ続けた。病室に戻り、嫁と話す。「これで後悔だけはしなくて済むね」「そうだな。とにかく関わってくれた人、全員に感謝だ。『ありがとうございました』だ」。

     感謝。とにかく感謝の気持ちしかない13日目だった。



    息子、交通事故に遭う。勝負前日。12日目。 

     本当は今日が手術日の予定だった。


     今日も19時に病院へ行った。病室に入ると、息子はiPodを耳に入れ、音楽を聴いていた。面接は明日なのに…と僕も言う気はない。こんな状況の中、たった3日間ほどだが、彼は十分、自分のことを見つめ直した思う。事故、ケガも含めて、「いい経験」になった。そう思うことが今の僕らにとって最良のことだ。

     強く。挫けずに生きて行くこと。
     それしかない。

     面接だって、彼が行くのだ。僕や嫁が行くのではない。彼の力で。どんな厳しい状況であろうとも。自分のために、自分で切り開いていくしかない。僕らは応援をしてあげるだけだ。

     ただし。自分1人の力で明日の面接があるのではないことだけは分からなければいけない。ドクター、ナース、学校の先生、塾の先生、T監督、そして励ましてくれる彼の多数の友人。みんなの助けや応援がなければ、大ケガを負った彼が、明日という日を迎えることはできなかった。みんなに感謝をしよう。

     そして、明日は全力を尽くそう。

     どうやら、寝ているようだ。
     起こす必要もない。

     また、明日なぁ…。静かに病室を出た12日目だった。


    息子、交通事故に遭う。模擬筆談。11日目。 

     白髪が増えた気がする。


     約束通り、19時に病院に行った。息子は答えを用意していた。本気のようだ。書いた文章も読む。元々、手直しをするつもりはない。中学生が中学生の言葉で自分を語るのが面接だ。大人が考えてもろくなことにならなし、付け焼き刃のテクニックもいらない。明らかな間違いだけ、指摘をして考え直させればよい。

     ん。悪くない。ただ、もっとテンションを上げて書いてよい。

     心構えだけを息子に話す。「相手に『オレって、こんな人間です』と分かってもらうことが面接だ。難しいことではない。なぜなら、相手も『この子のこと、知りたいっ!』と思って、聞いてくるからだ。分からないことは分からないと言えば(書けば)いいし、間違えたら『すいません』と言えば(書けば)いい。試験だと思うから、おかしなことになる。面接官と仲良くなること。そういうの、オマエ、得意だろ?」。

     頷く息子。

     「ただし。筆談はオマエに限って言えば、不利だ。普段から『勢い』と『迫力』がオマエの持ち味だ。筆談ではそれが出にくい。ただでさえ、『書く』という作業は誤魔化しが利かない。『話す』という作業はいくらでも誤魔化すことができるが…。オマエも、だから、こういう優等生言葉を使ったのだろう? でも。違う。さっきも言ったけど、オマエをわかってもらうことが目的だ。テンションを上げて。『勢い』と『迫力』を出すつもりで筆談をしてみろ。その気持ちで、明日までに、また書いておけ」。

     手伝わない僕は冷たい親か? と考えた11日目が終わった。


    息子、交通事故に遭う。心を鬼に。10日目。 

     眠れぬ日々が続く。


     息子には今日、「行けることになった」と話した。もちろん、どれだけの人がオマエの願いを叶えるために動いてくれたかはキッチリ説明した。その上で「もう一度聞く。行くのか?」と聞いたところ、「行く」とノートに答え。「わかった。ならば、今からケガ人扱いは、止める。受験生として扱うが、それでいいな?」。

     力強く頷いた。

     担任の先生が用意してくれた面接用のプリント。塾の先生が用意してくれた、受験する学校の過去の質問事項プリント。そして、彼の志望書を僕が読んで作った「予想質問事項」プリントを渡す。「明日、お父さんが来る19時までに、設問に対する答えをノートに書いておけ。まずはオマエのやる気を見せてもらう」。

     心を鬼にした10日目だった。



    息子、交通事故に遭う。決断。9日目。 

     長女とコスモと朝の散歩。癒やされる。


     週が代わった。結論から書く。受験の体制が固まった。

     先方の学校には、在学中の中学校長から事情を説明してもらい、筆談面接の許可をもらった。医者には「迷惑は掛けません。全て、僕らが責任を取ります。民間の救急サービスで行きます。ただ、お願いです。看護士さんだけ、付けてください」と平身低頭、土下座に近い形でお願いをした。医者は「きっと、そう言うと思っていました。わかりました。院長の許可を取って、病院の救急車を出す交渉をしましょう。サイレンを鳴らせますから、時間は大幅に短縮できます。もちろん、看護士も付けます。時間によっては、私が行ってもいい。痰の吸引器も、もちろん持参します」と笑顔で答えてくれた。

     ありがとうございます。深く感謝します。

     人の温かさに、むせび泣いた9日目だった。

    息子、交通事故に遭う。本人意思確認。8日目。 

     晴れ。天(コスモ)が僕を癒やしてくれる。


     聞くまでもなかった。息子の答えは決まっていた。予想していたことだ。

    「面接に行きたい。行かせて。一生のお願いっ!」(筆談)。

     それはそうだ。第1志望なのだから。また、今、全く勉強ができない状況にある自分への不安も大きいのだと思う。そういえば、ここ2、3日、ふとしたときに遠くを見つめている時があった。ナリはデカくても、15歳の少年だ。口もきけない今の病院生活にナーバスにならない方がおかしい。

     「面接に行きたい。行かせて。一生のお願いっ!」。筆談用に用意したノートに書かれた文字は筆圧の強い、意志を感じる文字だった。目にも強い意志が宿っている。「わかった。オマエの希望を実現できるように努力をする。ただし、多少でも安全を確保できなければ、先方の高校にも迷惑を掛けることになる。お父さんとお母さんが『無理だ』と言ったならば、あきらめろ」。なるべく冷静に彼に話した。「わかった」とリュウはノートに綴った。

     家に帰ってから、夫婦で相談した。交通手段は? 車いすは用意した方がよいか? 面接で筆談を認めてもらえるか? ネットで列車の時刻表を調べる。車での所用時間とルートの確認のため、カーナビで調べる。安全性の確保のため、民間の救急車サービスを調べ、電話で概要を聞く。少なくても痰を吸引する機械だけは確保をしなければならない。看護士も必要だ。少なくても医者を説得する材料は必要だ。

     ただし。行かせることは決定ではない。

     自分にそう言い聞かせた8日目が終わった。



    息子、交通事故に遭う。一次合格も迷う。7日目。 

     「クモ膜下出血は消滅しました」とドクターに言われた。よかった。


     昨日、息子が第1志望にしている学校の自己推薦枠の1次合格発表があった。「受かるわけない」と思っていたが、なんと通っていた。2次試験は22日。試験方法は面接だ。

     今日は素直に医者に、面接に行けるかどうか? を相談した。「顎にプレートを打つだけとはいえ、全身麻酔手術の翌日ですよ? それは無理です」とのこと。では、手術日はズラせないか? を聞くと、「口腔外科に割り当てられた手術日は木曜の午後しか、ありません。1週間ズラすと28日です。事故が10日だったのですから、ケガをして18日となります。前も申し上げた通り、2週間以内が目安です。また、ご子息の場合、口周り以外は重傷のケガはないので、大丈夫そうに見えますが、それは違います。生命を左右する口と鼻が機能していないのです。この画像を見てください。ご子息の気管の立体CT写真です。わかります? 周りが腫れているから、直径1mmほどしかないんですよ、気管が。つまり、です。カヌーレ(首を切って呼吸をするために取り付けている器具)が万が一、外れれば窒息します。痰が詰まっても同じことです。2時間に一度、痰の除去がまだ必要な状況です。1週間後に、どれだけ腫れが引いているかにもよりますが、危険度は変わりません」との返事。

     家に帰って嫁と相談をした。「別に高校は第1志望校だけではない。が、そのカヌーレが外れるのはまだ先のことだ。あの状態で3教科or5教科の筆記試験を受けるのは無理だろう。ならば、この面接は「勝負」するしかないだろう」が僕の意見。「高校は治ってから行けるところを探してあげればいい。こんな目にあって、せっかく助かったのに、これ以上、危険な目に遭わせることは、もうイヤ。この先、挽回はいつでもできる。焦るのは止めようよ」が嫁の意見だった。

     嫁は「あなたの言うことも十分に分かる」とのこと。
     僕は「オマエのいうことは、すごく正しい」とも伝えた。
     が。結論は出ない。

     取りあえず、中学校には連絡をして、当該高校への対応をお願いした。STOPはいつでも掛けられるが、急にGOを掛けることはできない。「進めるだけは進めておいてください」。

     明日、肝心の息子の意見を聞こう! と結論づけた7日目だった。




    息子、交通事故に遭う。抜歯。6日目。 

     淡々。平静。穏やかに。


     今日も会社は休んだ。今日の夫婦のシフトは、午後の早い時間は僕が病院に行き、夕方からは嫁が行くという体制。13時に病院に行くと、リュウはCTを撮りに行っているとのこと。ところが14時になっても帰ってこない。「?」と思っていたら、看護士さんが「ドクターが呼んでます」と言いに来た。

     口腔外科の診察室に行くと、息子が処置を受けていた。ドクターが話掛けてくる。「お父さん、ここ見てください」と言いながら〝なんとか〟生き残った下の前歯4本を指す。「これ、何とか残ったように見えますが…。実は支える歯槽骨が完全に折れてしまっています。このままにしておくと壊死(えし)を起こし、危険なので…。抜くしかないのですが…。ご同意いただけますか?」。「はい。お任せします」。

     これで上下の前歯、計8本が歯槽骨も含めてなくなった。

     病室で待っていると息子が帰ってきた。ツラそうだ。「痛いのか?」と聞くと首を縦に振る。そりゃそうだ。4本も無理矢理、永久歯を抜いたのだ。ベッドに横なっても、のたうち回っている。「ここは病院だ。だから、痛いことを我慢するところではない。痛ければ、看護士さんを呼んでいいんだよ」と言うと、早速、ナースコールを押した。痛み止めを直接、血管に注射してもらうと少し落ち着いた様子だ。ただ、まだツラそうだ。嫁に電話をして、「今日の見舞いがあるならば、丁寧に先に断った方がいい」と伝える。薬が効いてきたらしく、息子は眠り始めている。

     夕方、嫁が来た。帰るつもりだったが、一緒にいた。今日から、娘達の面倒は僕の両親が見てくれている。息子に対し、何もしてあげられないが。こんな時くらいは一緒にいてあげたいと思った。

     案外、僕は甘い父親かもしれないと思った6日目だった。


    息子、交通事故に遭う。転院。5日目。 

     淡々と。平静に。


     朝9時にO地区・日赤に着く。荷物をまとめ、ドクターとナースに挨拶し、10時に自分の車に息子を乗せ、転院先に向かう。街は混んでいた。10時40分に到着。受付に行くと、「向かいのビルに口腔(こうくう)外科はありますので、そちらに行ってください」。自力で、また向かう。

     口腔(こうくう)外科に着くと、また「お待ちください」。診察室からドクターの声が聞こえる。「自力で来た?バカヤロウ、重症患者に何たる対応だ! すぐに診察室に連れてこいっ!」。

     よかった、大丈夫だ、この病院。

     診察が終わり、息子は席を外し、僕と嫁が呼ばれ、医者から説明を受ける。「もどかしいとは思いますが、もう一度、こちらの病院でも全ての検査を行います。手術は来週の木曜21日の予定です」。

     えっ? すぐにじゃないんですか…。

     「腫れが、これだけ出ていると手術は無理です。2週間以内なら、いつ手術をしても大丈夫ですから、検査をし直して、心を落ち着かせてください」。

     その後、入院の手続きをして、すぐに検査。
     バタバタの、またまた不安の5日目だった。


    息子、交通事故に遭う。歩いた。4日目。 

     どこまでも淡々と。


     今日も会社へ。昨日と同じようにサッと仕事をこなし、病院へ。向かう電車の中で、嫁からMAILが入る。「自分で歩いて、トイレに行ったよ」。そうだ、負けずに〝やろう〟とする気持ちが大事。中学3年間、KSCで鍛えた心が役に足つ。その調子で頑張ろう。

     今日はKSC・U15のY・GKコーチが来てくれた。手土産は「MEN’S NON-NO」。とっととカラダを治し、イケメンオシャレ少年として世に再デビューを果たせっ!とのことだ(笑)。息子も笑っていた。ありがとうございます。力になります。AクンとAクンパパ=Yコーチも来てくれた。KSC戦士KNクンとZNクンも来てくれた。みんな、ありがとう。感謝です。

     明日、口腔(こうくう)外科のあるHO病院へ転院することになった。
     救命措置から、やっと治療へということだ。

     ちょっと安心の4日目だった。


    息子、交通事故に遭う。監督お見舞。3日目。 

     晴れ。今日も淡々。


     今朝は会社に向かった。2時間、やらなければならない仕事だけ、こなす。そして病院へ向かう。嫁は朝から行っている。着いてドクターに聞いてみた。「先生。彼、受験生なんです。受験はできるでしょうか?」「まずは、経過をみましょう。でも可能だと思いますよ」。

     高校は、どこでもいい。こんな状態の彼を受け入れてくれるなら、どこでもいい。
     そこで、きっと彼は頑張るはずだ。今は、そう思うしかない。

     夕方、県NO1チーム・M先生とKSC・U-15T監督が見舞いに来てくれた。尊敬する2人の励ましに表情も明るい。乗り越える気力が、また強まったように見えた。ありがとうございます。

     まだ闘いは続く3日目だった。




    息子、交通事故に遭う。お見舞。2日目。 

     晴れ。今日も事実だけを淡々と。


     11時に病院に着いた。娘2人は少年団(ミニバス)の駅伝大会に行かせたので、義母と嫁と3人で来た。息子は寝ていた。看護士さんが「お父さん達が来たよ」。腫れ上がった目をうっすらと開ける息子。でも昨日よりは目に力がある。

     「痛いか?」。頷く。これも昨日よりはハッキリとしている。「ここがどこだが分かるか?」。返事がない。分からないらしい。「O地区の病院だ。オマエ、昨日の朝、模擬テストに向かう途中、交通事故に遭ったんだ。覚えているか?」。目が動き、一瞬、考えて、「あぁ…」という感じで頷きが返ってきた。

     「そろそろ…」。今日は、医者に言われる前に、僕らから部屋を辞そうとした。入口まで来ると、ドクターが追いかけてきて話をしてくれた。「クモ膜下も微量ですから、影響は出ないと思います。15時くらいにはICUから出て、救命病棟に移します」。

     嫁がまた泣き出す。昨日とは、またニュアンスの違う泣き方だ。安堵感からの涙だ。昨日から食事をロクに取っていないので3人でデパートに行き、レストランで食事を取る。「食欲が出てきた。頑張るためにも食べなきゃねっ!」。そう言って、嫁はレディースランチを食べた。

     13時面会。15時過ぎに病棟に移すというので、義母を送りに一度、家に帰った。16時、再び病院へ。学校の先生が面会に来てくれた。看護士さんが「負担にならないぐらいなら、筆談していいですよ」と言ってくれたので、先生に御礼の言葉を書かせた。震えた字だが、「ありがとうございます」と記す息子。20時近くにHクンとSクンも来てくれた。「早く良くなって、サッカーやろうなっ!」。頷く息子。友の励ましは何よりも力になる。その後は塾の先生も来てくれた。彼の状況は変わらない。でも、たくさんの励ましを得て、力にはなっている。とても息子とは思えない顔でだけれども。発するオーラは明らかに彼のものだ。しかも、誰かに会うたびにそのオーラは強まる。

     息子が人から力を得て闘っている。
     それだけはハッキリと強く感じられた2日目だった。



    息子、交通事故に遭う。重傷。1日目。 

     晴れ。事実だけを淡々と。


     6時30分
     起床。軽い朝食を自分で用意して食べる。コーヒーをいつもの通り、多めに入れてNHKの天気予報を見る。

     6時40分
     息子が起床。「今日、最後の模擬テスト(我が県の全県業者テスト)なんだ。受けなくてもいいんだけど。前回が悪かったから、リベンジ。この結果で公立の志望校を決めなくちゃならないから。頑張ってくる」とのこと。「おぅ! 頑張れっ!」と声を掛ける。「何時に出るんだ?」。「7時半くらい」。

     6時50分
     審判服に着替え、上にウォーマーを着込む。嫁を起こし、車で10分の隣市・Sグラウンドに送るように頼む。車を昼間、嫁が使うため。

     7時00分
     家を嫁と出発。10分後、Sグラウンドに到着。昨日から新聞社旗大会を開催中。

     7時15分
     本部を設営。一緒に事務局を担当するS氏と打ち合わせをしながら準備。

     7時35分
     携帯が鳴った。嫁からだ。

     「息子が交通事故に遭ったって連絡が来た。すぐに来て。場所はN地区の自動車ディーラーの裏っ」。
     「事故? どの程度?」。
     「わからない。私もこれから行くから。着いたら連絡する」。

     7時40分
     同じ役員のTさんに送っていただくようお願いし、現場に向かう。

     7時45分
     嫁から続報が入る。「大ケガ…。血だらけ…。今、救急車を待っている…。私は救急車に一緒に乗るから。車の鍵を現場の前の電気屋さんに渡しておくので、あなたは車で追いかけてきて。病院が決まったら、また電話をします」。

     7時50分
     ここを曲がれば現場…というところに来たら、救急車が出ていった。現場到着。車を降りる。アスファルトに多量の血。警官に「父です」と名乗る。警官はから中学校に連絡をするように言われる。事故状況を聞くとT字路で車に跳ねられたとのこと。現場に目を向ける。破壊された息子の赤いママチャリが転がっている。相手の車は、左のバンパーとボンネットがかなり凹んでいる。フロントガラスは全面に真っ白にヒビが入り、運転席側に大きな窪みができている。

     7時55分
     嫁から携帯が鳴る。「O地区日赤に向かっています。慌てず、ゆっくり来て」。生きているのか? との問には、「生きている。ただ、すごい錯乱状態。顔はすごく腫れ上がって血だらけ…。口が数カ所裂けて、上の前歯は全部なくなっている…。鼻も曲がっている…」。

     8時10分
     学校に連絡が付く。「自転車で模擬テストを受けに行く途中、事故に遭いました」と報告。警官に必要事項を話し、事故の相手とも話し、面倒を見てくれた電気屋さんにお礼を言って、車に乗り込む。カーナビでO地区日赤をセットし、エンジンを掛ける。「慌てず。ゆっくり…」。自分に言い聞かせてスタートする。

     9時00分
     O地区日赤に到着。ER待合室に嫁が座っている。「今、ERで処置中。意識はあったけど…。『お母さんだよっ!』と言っても『離せっ! 痛いっ!』としか言わなかった…。頭も強打しているみたいだし…。どうしよう?」。

     10時00分
     ERからストレッチャーに乗り、息子が出て来る。が、顔は見えない。麻酔を打たれているらしく、暴れてはいない。看護士が話掛けてくる。「3階のICUに入ります。ICUの前の待合室でお待ちください。処置が済めば、お呼びします」。

     12時00分
     待合室にドクターが現れる。「症状をお伝えします。顎骨の粉砕骨折、鼻骨骨折。前歯裂傷、顔面裂傷、そして微量の外傷性クモ膜下出血、全身打撲です。今のところ、『命』は大丈夫だと思います。今のところです」。続いて、看護士から「入院に必要なモノをここに書いてあります。準備してもらえますか?」。寝間着、ハブラシ、歯磨き粉、大判バスタオル等。嫁を残し、僕が買い物に。

     13時30分
     買い物を済ませ、再び病院に。嫁に、様子を聞く。「まだ呼ばれない…」とのこと。

     14時50分
     看護士が待合室に来て、「15時から、親族のみ面会できます」。

     15時00分
     ICUに入る。入って右側の3番目のベットに息子はいた。顔がすごく腫れ上がっている。一気に肥満したかのようだ。目は開いていない。瞼もこれ以上ないほど、腫れている。破壊した口元はタオルで隠されている。鼻も激しく裂けたのを縫ったようだ。口も鼻も壊れているから、首で気管を切開し、チューブを入れて呼吸をさせている。よほど暴れるとみえて、手足はベットに縛られている。医者の話は以下の通り。「先ほど、説明した通りです。クモ膜下出血は微量です。命は大丈夫でしょう。次の面会は19時です。その頃には、麻酔も切れて意識があると思います」。ICUに長居はできない。嫁が聞く。「1つだけ聞いていいですか? 私達2人とも一度、家に帰っても大丈夫な状況でしょうか?」。ドクターは笑顔で応えてくれた。「大丈夫です」。

     この時、初めて「命は大丈夫なんだ!」と信じることができた。

     16時30分
     一度、家に帰り、諸所に電話連絡。その後、警察からの要請で現場の壊れた自転車を引き取りに行った。血はまだ、乾ききっていなかった。車と衝突したチョークでマーキングしてある場所から、血痕の地点まで歩測してみた。約20歩あった。車に自転車を積み、帰宅した。

     19時00分
     再びO地区日赤へ。たまたま数日前から義母が遊びに来ていたので、娘達の面倒を頼めた。
     ICUに入る。3番目のベットの住人は腫れ上がった顔をしかめながら、暴れていた。余程、痛いと見える。嫁が声を掛ける。「お母さんだよ。分かる?」。暴れが一瞬だけ止まる。腫れ上がった目が微かに開き、瞳が嫁を探す。弱々しく頷きが確認できた。リュウの目尻から涙が流れる。「泣かなくていいから。ここにいるから。大丈夫だから」。僕は息子の右手を握る。「お父さんだ。分かるか。分かるのなら手を握ってみろ」。弱い力。だがシッカリと握り返してきた。ベットの反対側に回り、同じことを左手で試す。これも握り返してきた。「今度は足だ。グーパーを足でやってみろ」。言うや否や、足の指が開いたり閉じたりした。両手、両足、意識とも大丈夫だ。再び暴れ出す息子。ドクターから声が掛かる。「そろそろいいですか? 今日は痛み止めを打って眠らせます。明日は、もっとお話ができると思いますよ」。

     今晩が頑張り所。まさに〝KSCタイム〟だ。
     劇的な逆転を期待しているぞっ!

     19時30分
     待合室に戻ると、嫁が声を上げて泣き出した。大丈夫。アイツは強い。ここから逆転してくれる。何度も見てきたじゃないか、あきらめない気持ちの入ったヤツのサッカーを。KSCで鍛えたカラダと心があるのだから、大丈夫だよ。本当はそう言いたかったが…。出てきた言葉は一言だけ。

     「頑張ろう。僕らも」。
     そう言って、彼女を抱き締めた。

     長い闘いになっても負けはしないっ!




    うずうず。 

     いい天気。いい正月。


     あけましておめでとうございます。
     旧年中の挨拶も、当ブログでせず、誠に申し訳ありませんでした。
     これに懲りず、本年もよろしくお願い申し上げます。

     最近、更新が滞っています。楽しみしている方、すいません(苦笑)。
     タコ息子のことだけを書いているブログに見えてしまうかもしれませんが、本来は「大上段から、今のサッカー・世の中を斬りたけれど…。それではハレーションが大きすぎるので、タコ息子の所為を犠牲にして、世に訴えるしかないっ!」が基本コンセプト。ただ相手が受験直前なものですから、あまり彼をイジるのも、さすがにちょいとカワイソウかな? と…(苦笑)。実は、こんな時季だからこその「スーパーなネタのオンパレード」ではあるのですが…。

     受験が終わったら、思い切り書きまくってやろう!

     そんな思いで、ネタをネタ帳に書き綴っています。我が県の公立校受験日は2月中旬。あと1カ月半、何卒、お待ちいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

     早く、書きたいなぁ…。