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    母国語。 

    のちのち 寒い。桜も咲くのを一時中断だろう。


     「シオタクンガネ、18ニハイッタンダッテ。サイシュウビノネ、マエノヒ、イッチョウエンデ、ダメダトオモッテイタンダッテ。ダケド、ダイジョウブダッタンダッテ。ニシザワクントサトウクン、コウコウセンバツダッテ。スゲェヨネ。カントクガイッテタ、オマエラモソウナレルヨウニッテ」。
     
     それはスゴい。ただ、オマエはナレない。その伝え方だけで僕なら落とす。
     聞きながら頭の中で僕が同時翻訳した言葉を皆さんのために書こう。

     「僕らのKSCの先輩である塩田君が、U-18日本代表に選ばれたんだって。候補合宿の最終日の前日は胃腸炎に罹ってしまって、自分ではダメだろうな…と思っていたのだけれども、通ったらしいよ。別の話だけれど、これも先輩の前橋育英高の西澤君とザスパ草津に入団した佐藤君は、高校選抜に選ばれたんだって。3人ともスゴいよね。今日の練習の最後に、監督がみんなに話してくれたんだ。そして、『オマエ等も、そうなれるように頑張れ』とも言ってくれたよ」。

     まったく、息子と話をしていると、また頭が痛くなってくる。彼は、考える力がゼロなのだ。いや、訂正して断定しよう。マイナスだ。上の会話を読めば、一目瞭然だろう。聞き間違えに疑問を持たない、耳から入ってきたものが全て。自分で消化しようとしない、消化しないならしないで、そのまま伝えればまだいいが、勝手に端折る。僕でさえ、彼の言葉はカタカナの羅列にしか聞こえない。それを彼の環境を踏まえて「きっと、こうだろう」と想像・推測して、頭の中で日本語に翻訳する作業が必要なのだ。きっと、全く背景を知らない人には、違う言語に聞こえるに違いない。

     ちなみに。イッチョウエンは胃腸炎なのだと推測するのに5秒必要だった(苦笑)。

     ウチは、これでも子ども全員に対して小さい頃から「主語、述語をハッキリっ! 自分の意見をキチンと自分で言えっ! そして自分のことは自分でヤレっ!」を実行している家だ。特に息子に対しては、サッカーのコーチとしても、それを言い続けてきた。それでも、このテイタラク…。驚くべきことに。今日、彼が学校からもらって来た通知表の国語の成績は、決して悪くなかったりするのだ…。
     
     この不思議言語が自分の子どもから発せられる原因は判っている。学校の成績が降下しているのも、同じ理由だと推測する。こういう時、頭ごなしは、もうやらない。4月から彼も中3だ。この不思議コトバの異常さを理論立てて説明し、具体的な対処法を説明した。あとは、彼が実行するかどうかの問題。ある意味、〝見もの〟だ。結果が出たとき、ここに対処法も含めて改めて記したい。

     本日は豪華2本立て。今日は、もう1つ、息子との会話でトンチンカンなやり取りがあった。書いたところで、恥を晒すだけなのだが、どうにもこうにも我慢ができない僕がいる(苦笑)。
     
     リュウ 「日曜日ね、メトロ(※メトロポリタンリーグU14、水戸ホーリーホックJr.ユースvs.KSC)が茨城の笠松競技場であるんだ。で、親が見に来る場合には、今晩中に選手がMAILを寄越せってカントクに言われた。来る?」。

     僕 「(実は想像で分かってはいるが、)なんで? なんで親が行くのにお前がカントクにMAILをしなくてはいけないんだ?」

     息子 「J2の水戸vs.熊本の前座試合だから。入場するのにチケットが必要なんだって。来るの?」。

     僕 「前座なら、そうだよな。で? 今の話だけで判断しろ、と?」。

     息子 「?」

     僕 「考えてみな~」。

     息子 「分かったっ! 人数だよね。家族で来る? お父さんだけ?」。

     僕 「その前に。行くかどうか? を決めるために必要なことがあるだろう?」。

     息子 「?」。

     僕 「夜は夜で用事があるからなぁ~」。

     息子 「時間かっ! 知らない…」。

     僕 「知らないっ? 知らないのにオマエは来るかどうかを家族に聞くのか?」。

     息子 「カントクは言わなかったなぁ…」。

     僕 「オマエラ、カントクに試されているのを気付かないのか? 今頃、『わざと言わなかったのに、誰も聞いてこなかった…』とカントクは嘆いていると思うよ。まっ、さっきも言ったばかりだけど、この調子だと、他の子はともかく、オマエは〝いいプレーヤー〟には到底なれないなぁ」。

     息子 「今からMAILで聞きます…」。
     
     タコな親子の会話だが。こういうことは、本来、各家庭でシッカリと我慢強くやらなければいけないことだと僕は思っている。サッカーだ、野球だなどとは全く関係なく(実は結果として、スゲェ関係してきてしまうのだが)、人としての躾と言ってもいい。なのに…知っているだろうか? JFAアカデミーでサッカーエリートの教育と育成の名の下で「コミュニケーション・スキルの向上」という名目で、同じことが行われていることを。

     大丈夫なんだろうか? サッカーではなく、国自体を憂うざるを得ない…。



    直前合宿地「恐山」。 

    のち 寒の戻り。冷たい雨の日は頭痛がヒドい。


     1日遅れの祝辞だが。第2回WBC、侍ジャパン、優勝おめでとう! 久々、日本を明るくさせた大ニュースだった。僕も、東京・新橋でモミクチャにされ、「イキかけながら」号外を配布させていただいた(苦笑)。

     やはり、イチローはスゴかった。ドン底の不調であっても最後の決勝では4安打。しかも、延長戦勝ち越しのチャンスに堂々の2点適時打。そこで打っちゃうこともスゴいが、それよりも、あそこで打順がビッタリ回ってくることに僕は驚く。本人曰く、「僕は持っていますね、やっぱり。神が降りてきましたね」。他の選手が、この言葉を言ったら、「なにを生意気をヌカしてんだよっ!」と世間で言われてしまうが、世の人全員が「イチローは〝持っている〟」と認めているから、ちっとも生意気に聞こえない(笑)。僕なんざ、〝持って〟いないどころではない。〝モテない〟(笑)。ましてや、神なんか降りてくるはずもない。

     イチローの経歴を見てみた。当初、入団したオリックスでホサれたが、河村コーチと出会い、2人3脚で振り子打法を身に着ける。名将・仰木彬が監督に就任すると、1軍抜擢、4月中には1番に定着。登録名を「鈴木一朗じゃ平凡すぎるから『イチロー』で行けっ!」と言われ、替えると、一気にブレーク。この年、日本新記録の69試合連続出塁、日本球界初となるシーズン200本安打の偉業を達成。最終的に210安打(日本記録)まで延ばし、この年から打撃の正式タイトルとなった最多安打の初代獲得者となった。パ・リーグ新記録となる打率.385で首位打者も獲得。打者としてはプロ野球史上最年少でMVPまで手にした。

     その後の活躍は書くのが疲れるのでヤメる(笑)。

     確かにイチローは「持っている」。大きく育ててくれる指導者との出会いも〝持っている〟からこその出会いなのだろう。〝持っていない〟ばかりに、その才能を生かせなかったプレーヤーもたくさんいるはずだ。そう考えると、スポーツ選手にとって〝持っている〟ということは非常に大切な気がしてくる。

     今の日本のサッカー界にイチローほど〝持っている〟プレーヤーがいるか…。シュンスケ、エンドウ…ん~イチローに比べるとスケールが小さい気がする。クラマーと出会った「世界のカマモト」まで遡るしかないか…、いやカマモトだってイチローの〝持っている〟度には遠く及ばない…。誰かいないか…いねぇなぁ…いたっ!

     大空翼っ! ロベルト本郷とも出会ったし。
     確実にイチロー並に〝持っている〟ぞ~っ!(笑)

     おふざけはやめて。現実に戻る。期待したいのは。原口元気クンだ。各世代で名指導者に出会い、小・中・高と日本一を経験。そして、フィンケと出会い、高校生ながらJ開幕スタメンデビュー。今の時点では確実に〝持っている〟。いつでもどこでもボールと一緒だったという努力家としての逸話もM先生から聞いているから〝持ち続ける〟可能性は極めて高い。元気クンの県NO1チーム時代の同級生・塩田クンもイチロー候補の1人。指導者にも恵まれ、元気クンと一緒に全少制覇、そしてKSCでプレミア制覇。今はマリノスユースで頑張っている。

     話を本題に戻す。僕は思う。実は〝持っている〟ヤツはケッコウいるのではないだろうか。が、自分が〝持っている〟と気付かずに「なぁなぁ」で終わらせてしまっているケースも多々ある気がする。〝持っている〟としてもそれだけではダメなのだ。

     やはり、弛まぬ努力が大事。イチローだって、〝持っている〟のが証明されたのはプロになってから、だ。今日、新聞でチチロー(イチロー父)のコメント記事を見て実感した。「『幼少時代、地元のバッティングセンターに1年で366回以上、通った。1日に2回以上行くこともあったから。その結果、愛工大名電高時代は《センター前ヒットならいつでも打てる》と言うまでになった。WBC決勝の勝ち越し打は、そのセンター前ヒット…』。チチローの声も震えていた」。

     結果としての〝持っている〟〝持っていない〟は一度封印して。〝持っている〟と信じ、サッカー少年全員が努力をしよう。たとえ今は〝持っていない〟状態だとしても。努力によって〝持っている〟状態になれるかもしれない。そうすれば日本代表は〝持っている〟選手だらけになるっ! 神を降ろせる選手が揃えば、W杯制覇も夢ではない。 日本協会の目標より前倒しになってしまうけれども、目標は2014年W杯におこう。この大会は相当に価値のある大会だ。なぜなら、第20回記念大会なのだ。そして、開催地はブ・ラ・ジ・ルっ! ここで優勝したならば。WBC連覇どころではない。スゴいなんてもんじゃないほどスゴい。大丈夫。鎌倉時代に日本には神風が吹いた実績があるのだから。

     日本という国自体は〝持っている〟のだ。

     イチローはWBC連覇で「イキかけた」とコメントした。それ以上の価値がある2014年W杯優勝時のサッカー代表選手の言葉は、この時点で既に決まった。

     「イッチャイました」(笑)。

     その時は。僕もモミクチャにされて「イキながら」号外を撒きたいと思う(笑)。



    あと数年。 

     寒かった。WBCは日本のV2っ!


     久々に。新聞を読んで、「いいねぇ!」と感じ入る記事があった。

     断っておくが、全面的に「この記事の生き方がいい」と息子に言う気は、ない。この日記で、何度も書いている通り、「サッカー選手? ちいせぇ、ちいせぇっ! どうせ努力と根性を見せるなら、Uコウ⇒トーダイ⇒モンカショウキャリアの道を歩み、サッカー協会全体をギュウジるくらいの志を持たんかいっ!」というのが僕のバカ親としての本音だ(それだけの学力があるという意味では残念ながら決してない、笑)。また、世間的に「中学生の興味がマンガやテレビやゲームに行くのはフツーのことでしょ?」「友達と遊ばないなんてキモイよ」という意見があることも十分に理解している。なぜならば、僕はゲームセンターに友達と通うチューボーだったし、そういうコーコーセイだったから。

     息子よ。本音は本音として。世間一般は世間一般として。それと同じで、「こういう生き方」は「こういう生き方」として。いろんな生き方があるんだということは覚えておいてほしい。そして、「こういう生き方こそ、プロとして相応しい」ということも覚えておいた方がいい。お前がプロになろうとしても、なろうとしないにしてもだ。どれを選択するかは、君の自由。

     オマエの人生だ。オマエが決めて、オマエ自身で切り拓け。

     以下、3月24日付のニッカンスポーツより全文抜粋。


     コラムタイトル「言葉の数ほどドラマがある」

     『オレは15年後に遊ぶ』 ―柏GK菅野孝憲―

     菅野は1日24時間をサッカーに捧げている。GKはゲームの流れを読む力が必要と思い、1日1試合以上は必ず欧州リーグなどの試合を見る。「新たな気持ちでサッカーに取り組むため」にお笑い番組のチェックも欠かさない。「食事に金と時間をかけるのはプロとして当然」で栄養士の指導を受け、練習メニューによって食事メニューを変える徹底ぶりだ。

     菅野 「僕には24時間では足りないです。1日が26時間なら、2時間をサッカーのための休養に充てることができる」。

     遊びたい盛りの中学1年の時だ。ゲームセンターに行こうという友達の誘いを「トレーニングがあるから」と断り、ジュニアチームの練習に向かった。自宅のある埼玉・富士見市から東京・稲城市の東京Vのグラウンドまで、片道2時間の電車の中で自分に向かって言い聞かせたという。

     「オレは15年後に遊ぶ」。

     将来、プロになると決めた時から、ゲームや漫画、友達との遊びは、どんどん興味が薄れていった。誘いを断り続けるうちに誘われなくなった。

     プロになった今は「オレに捕れないボールはない」と自分に暗示をかけ、自分の能力を最大限まで引き出すために努力をしている。正月休みや海外旅行中でも最低40分は走る。1年365日、完全休養日はゼロだ。

     菅野 「サッカーがうまくなるためなら、何でもする。その気持ちが切れた時には潔く引退します」。

     酒もギャンブルもタバコもやらない。つまらない人生と思われるかもしれない。しかし、菅野にとってサッカー漬けの24時間は、とても楽しい、充実した至福の時間。あと数年で迎える「15年後」になっても、遊んでいる姿は想像できない。

     ◇菅野孝憲(すげの・たかのり) 1984年(昭59)5月3日、埼玉県富士見市生まれ。小学4年の時に東京VジュニアでGKスタート。03年J2横浜FC入り。J1に昇格した07年度、34試合にフル出場し68失点で新人王受賞。04年7月10日の鳥栖戦で88メートルFKを直接得点するキック力が武器。770分連続無失点のJ2記録を持つ。179センチ、75キロ。



    鬼も笑わない。 

     すっかり春。天の散歩も楽になってきた。


     本日、嫁が息子の塾の保護者面談に行ってきた。息子の成績? 書くまい…。ただ、順調に下降していることだけは確かだ(苦笑、笑っている場合ではないのだが、苦笑せざるをえない)。

     面談の中身は「平成22年度の我が県・高校入試の傾向と対策」について。1年も先なのに傾向も対策もないだろう…と言ってはいけない。現・中2は、嫁曰く、「ゆとり教育だ、なんだかんだ、と授業数減らされて、その上で22年度から入試方法を換えます…。まったくもって、ツイてないヤツラ…」という世代らしい。

     ドサ~っともらってきた資料を「ハイ、どうぞっ!」と渡されたので一通り、目を通したが…。サッパリわからない。すると、嫁が「今年と、どう変わるか? はどうでもいいことなのっ! 要は、来年どうなるか? さえ、分かっていればいいことでしょ!」と言いながら、PCを開いて某HPを見せてくれた。

     ん~。1つ1つの学校の選抜方法(サッカーも含む)に関するコメントを書きたいっ! がっ! それは3月31日以降にしよう。ついでに、県立・市立・私立の授業料及び初年度払込金額も興味ある学校だけだが調べてみた…。かっ、書きたいっ! 世は100年に1度の不況なのだ。掛かるお金のことぐらい書いてもよさそうなものとも思うが…。

     ここはグッ! とガマン~っ! 新年度4月1日ネタとしたい。

     シッカリと勉強もしてくれ! と無難に締めるしかないな、今日は(苦笑)。




    鍛造。 

     いいお天気。気温も高い。春だ。


     「技術家庭科のテストにはヒゴノカミと削っていない鉛筆1本を買って持ってくること」。中1の中間テストだったと思う。Sという名の先生に言われた。「ヒゴノカミですか? 何ですかそれ?」と聞き返す。先生は「金物屋に行けば売っている!」と答えるのみ。まっ、行けばわかるだろうと街の金物屋を訪れ、「ヒゴノカミくださ~い」。出てきたものは…。

     小型ナイフだった。

     ヒゴノカミ=肥後守。以下、ウィキペディアより。「肥後守(ひごのかみ)とは、日本で戦前から使われていた簡易折りたたみ式刃物(ナイフ)のこと。肥後守は登録商標であり特定の製品の名称であるが、同形状のナイフの総称として使われることが多い。~中略~この上なく単純な構造のため極めて安価に製造出来、また殆ど壊れる所が無いため長く使用出来ることから、近代の日本を代表するフォールディング・ナイフとして広く愛用された。1950年代後半頃からは文房具の一つとして子供たちにも行き渡ったが、やがて鉛筆削り器やカッターナイフの普及、刃物を子供の周囲から排除したがる風潮などに押されて徐々に姿を消した」。

     テスト用紙が配られた。問題を見る。3問しかない。「問1.持ってきた鉛筆を肥後守で削りなさい。また、問2・問3の答案は、その鉛筆を使って書き込むこと」。マジかよ…。 目が点になった。毎年のことなのだろう、テストに立ち会っている担任の声が飛ぶ。「肥後守を動かすのではなく、鉛筆を動かす要領で!」。なかなかウマくいかない。当然、滑らせて手を切るヤツも出てくる。「手を切った? 当たり前だろ、刃物なんだから。危ないものを危なくないように〝便利なもの〟として扱えなくてどうするんだ? 問3までしかないんだから。まずは、丁寧に鉛筆を削れっ!」。

     おかげで。多分、今でも肥後守で鉛筆を削れる。

     今日、我がチーム3年生を連れて県NO1チームの元に遠征に出掛けた。Mコーチと相談して、引率は父とコーチのみとした。厳しい結果が予想される、この遠征に敢えての実施だ。自分達でシートを敷き、自分達でテーブルを組み立て、自分達で水を汲み、自分達でポカリを作る。自分達でコーンを並べ、自分達でアップを始め、自分達で試合に臨む準備をする。

     そして、もちろん自分達が全国レベルと試合をする。

     ボロボロに負けても、自分達で椅子を引き上げ、自分達で集まり、自分達で反省をする。自分達で休み、自分達で水筒に補給をし、自分達でジャグに新たなポカリを作る。お昼になれば、自分達でミニカップ麺に熱湯を注ぎ、自分達で食事の準備・片付けをする。自分達で次の試合に闘志を燃やし、自分達でキーパーを決め、自分達でまたボロボロにされる。

     県NO1チームとの試合という〝中間テスト〟にボロボロにされることも含めて。
     全てのことが自分達の責任だ。
     我がチーム3年生にとって、今日の行動すべてが〝肥後守での鉛筆削り〟たっだ。

     正直言えば、まだまだ物足りない意識の低さではあった。途中、手を貸そうとする父達の甘さも覗えた(当然、僕はそれを制したが)。それでも、大人がガマンをして続けていくことさえできるとするならば。いつかは、全てのことが自分達だけでキッチリ行えるようになる。僕が我がチームからいなくなっても。この3年生だけは、

     涙という〝血〟を流しながらも〝肥後守〟を使っていってほしい。
     自分達を自身の手で鍛えていってほしい。

     そうなれば、県NO1チームとの試合も「ボロボロ」が6年生の頃には「ボロ」ぐらいで済むようになるかもしれない。サッカーを通じて自分達で学んだことは、必ずサッカーの自分達の結果にも返って来る。「そうじゃない!」という人もいるかもしれないが、僕は返って来ると信じたい。否、「信じている」。

     久々に。鉛筆でも削ってみるか。
     僕も自身の鍛え方が、まだまだ甘いようだから。


     ※決して小型ナイフを肯定する気持ちで書いたモノではありません。せめて「厳しいチームだ」と言ってください。その言葉ならば賞賛として受け止めます。



    「反作用」って知っているか? 

     日に日に暖かくなっていく。


     息子が疲労性骨膜炎で「調整組」に回っていることは書いた。その後、近所の整形外科に行かせた。そこでの診断結果も骨膜炎。「ボールを蹴らないこと。ランニングはOK」と言われ、それに従ったメニューをこなす毎日が続いていた。ただ、我が家では「ケガ」に対しては過去の経験上、ヒジョーにナーバスになっているのは、皆さんがご承知の通りだ。だから、近所の整形外科に行かせると共に、A市中央病院・Y先生の予約をシッカリと取った。

     その受診日が今日だった。

     もう、この春から中3だ。病院だって、当然、1人で行かせる。キチンと状況を医者に説明できて当然、できなければスポーツをやる資格なしっ! そもそも知らない医者でもないし(苦笑)。「アイサツだけは、シッカリして来いっ!」と言って、朝、息子を送り出した。

     夜。家に帰るとチョウド、息子がKSCの練習から帰って来たところだった。バクバクと白メシをカッコんでいる。「おぉ! 父ちゃん、お帰りっ! 母ちゃん、オカワリよろしく~っ!」。のん気なもんだ。この状況ならば、たいしたことはなかったのだろう。「そうそう、中央病院に行って来たよっ」。おっ! 待ってましたっ。で? 「うん…」、「脛骨が折れていた、って」(白メシ、バクバク)。

     はっ? オレテイタ? イタ? 過去形かいっ?

     「うん。でも、もう、くっついているから心配ないって。痛いのは治りかけに伴う、骨膜炎のせいだって(白メシ、バクバク)。だから、痛いことはやっちゃダメだけど、痛くないことならやっていいって(バクバク)」。

     お前、大丈夫なの?

     「うん。先生にも言われた。『これでサッカーができていた? あり得ない。痛くなかったの?』って。今日、カントクにも驚かれた。『マジで? マジで折れていたのか?』って。そりゃ、痛かったよ~。赤Jクラブ戦の前にピキピキ来ていて、FCF戦はイテェなぁ、オレンジJ戦はハンパなく痛かったって感じかな? 優勝したら、痛いのを忘れたけど!(バクバク)」。

     そういえば、赤Jクラブ戦の前の練習で珍しく足をツラせてたなぁ…。
     あれ、ツッていたんじゃないんだ…。

     「うん。多分、あの時、オレタと思う。でも、走れていたから。父ちゃんだって普段から『走れないくらいなら出るなっ! みんなに失礼だっ!』って言うじゃん? カントクからも『どんなにウマくても、強くても、走れないヤツ、走らないヤツは使わねぇ!』って言われているし。走れているうちは、全力でやるしかないじゃん?(バクバク)」

     コイツ…。いい根性してやがる…それとも鈍感なだけか? いずれにしても危険だ。

     コーチの立場から言わせていただこう。。多少でもケガの素振りを見せてくれれば、こちらも気が付く。気が付けば、ムリはさせない。大ケガをさせてしまってからでは、遅いのだ。ごくたまに、「負けるとイヤだから、ケガを分かっていても使う」という指導者がいるがトンデモないことだ。オーバーではなく、半身不随なんて事態だってないとは言えない。もちろん。〝根性なし〟で「痛い」発言をする子がいることも十分、経験上、知っている。だけれども、ホントの可能性もゼロじゃない。本当のケガ、嘘のケガも含めて、全てのケガを想定しての戦力準備を造れていないのは指導者の力量不足。それを子どもに負担させて補うなんてことがあっていいはずがない。そもそも。そんなことしてまで勝ってどうするんだ? と僕は思う。

     しかし。息子みたいな〝根性クン〟が一番、ある意味、始末におけないのだ。見ていても分からないのだから。当然、痛い風を見せなければ、そりゃ試合に使う。使って、大事故にでもなったとしたら…。責任ならば、背負う覚悟はできているが。そうじゃなきゃ、少年スポーツの指導者なんてできるはずがない。しかし、その子が大好きなサッカーができなくなってしまうような事態を招いていいはずは、ない。そういう子にはどう対処をすればいいのか…。

     機を見て、「痛いところないか?」と聞くしかないだろうなぁ…。

     今回、息子には厳しく言って聞かせた。「痛いのはオレなんだから、ガマンすりゃいい話」ということは間違いだということを。ガマン強いのはいいが、ガマンのし過ぎは迷惑にしかならないということを。そもそも、ガマンのし過ぎは仲間を信じていないことに繋がるじゃないか…。本当に痛いときは、「痛い」といえる選手こそがGOOD PLAYERなんだぞ…。

     で。今日はどうしたの?

     「うん。医者が痛ければやめなさい、痛くなければ続けて大丈夫! って言うから。カントクの許可も取って、練習やろう! とは、したよ。でも、最初の練習で痛かったから、すぐ止めた。その後は、ずっとケガ人メニュー。体幹しながらのヘディングとスローイン練習だけ。あっ! ゴハン、ごちそうさま」。

     最初の練習って何?
     「なわとびっ!」

     おまえ、やっぱ根性クンじゃない…。理科の不得意な鈍感クンだ…(苦笑)。


    ♪チャララ~っ! ハナからギュウニュウ~っ!♪ 

    のち 夜は冷たい雨。


     いつもより30分遅い電車で仕事に行くことにした。熱いコーヒーを、もう一杯どうしても飲みたかったからだ。こんな朝は、夫婦で子どものことを話すのがウチのスタンダードではある。ただし、内容がいつも唐突。なので、必ず美味しいはずのコーヒーを「ぶほっ!」と吹き出すことが多い。今日も、唐突に話は始まった。

     「ねぇ。4月から娘2人、『お絵かき・工作教室』をヤメさせてもいいかな?」。

     親に似ず。娘2人は図画工作が好き。ヘタな習い事をさせるくらいなら、そっちの方が楽しいだろうと、嫁が探してきて月曜に小一時間、行かせている。断っておくが、「絵画教室」なんて気取ったモノじゃない。紙粘土、折り紙、針金、クレヨン、絵の具、アルミ箔、新聞紙あたりを使っての「自由創作教室」と言った方が正解だろう。ちなみに、長女は、この他に木曜日にHIPPOPダンスを楽しんでいる。そして水曜日は「英語の先生の家」にお出掛けだ。これも実態は「英語教室」なんてシャレたものじゃない。近所に住む外国人の家でクッキーを焼いたり、UNOをしたり、かくれんぼをしているだけ。ただし、日本語交じりの英語で、だ。「なんで? 2人ともスゴく楽しそうに行ってるじゃん?」。コーヒーを啜りながら、新聞に目を向けたまま答える。

     「だって~。好きに遊ばせてあげたいんだもんっ!」

     嫁によると。4月から、学習要項が変わり、授業が激増するという。4年生になる長女は月~金・毎日6時限、2年生の次女は毎日5時限になるらしい。そうか「ゆとり教育」は失敗に終わったんだ。そして再び、「詰め込み教育」が始まるんだなぁ…。なるほど。それはタイヘンそうだ。優等生の長女はまだしも。勉強ギライの次女なんざ、アタマがショートしてしまうかもしれない(苦笑)。毎日ヘトヘトになりながら、学校に通いそうだ。

     「アタシなんかさぁ~。毎日、ランドセルを玄関に放り込んで『行ってきま~すっ!』って調子で男の子と遊んだからさ。娘2人を見ていると、カワイそうでカワイそうで、不憫になっちゃう。だから、やらせることも、なるべく遊びの要素の方が強いもの! って思ってきたんだけど…」。嫁の独白は続く。「宿題だって尋常な量じゃないのよ~。こんなに出してどうするの? って量。授業の遅れを宿題で取り返そうってことなんだろうけど。1時間も掛けないと終わらないような宿題をどう思う? 私に言わせれば、虐待よ、虐待っ!」。

      「もう、限界っ! 制限なく自由に遊ばせるわっ!」。

     ぶほっ! その剣幕にコーヒーを吹き出してしまった。僕が宿題を出しているわけじゃないんだから。そんなに力説しなくても大丈夫。お前の言っていることが〝正しい〟かどうか? は分からない(人によっては〝正しくない〟という方もいるだろう)が、僕は共感できる。

     僕らは今の小学生よりも勉強は〝詰め込まれ〟た気がする。が、放課後は実に自由だった。沼でザリガニを釣る時間もあったし、隠れ家を皆で〝造営〟する時間もあった。野球もサッカーも同じように楽しんだし、何より暗くなるまで家に帰らないのは当たり前だった。社会的・道義的に間違ったことをしたとしても「子どものイタズラ」で済ませてくれる大人側の余裕もあった。

     それが…。今や、サッカーだって〝習い事〟になってしまう時代だものなぁ…。

     好きな工作だとしても。大好きなダンスだとしても。お茶飲んでクッキー食べているだけの英会話だとしても。そして、それがサッカーだとしても。いつまでも〝習い事〟のままであるならば、さっさとやめさせた方がいい。遊ぶ時間を削ってまでやることではない。〝習い事〟から「大好きなこと」に昇格したのならば、続けさせてあげればいいと僕は思う。典型が息子のサッカーだ。今の彼の生活はサッカーと学校の往復。遊ぶ時間なんてありゃしない。あんな修行僧みたいな生活、よく耐えられるな…と正直、思う時がある。それでも彼はサッカーをやめない。彼にとって、サッカーはもう〝三度のメシ〟クラスのモノなのだろう。

     基本は伸び伸びと。子どもには遊びたいだけ、遊ばせてあげたい。

     夜。娘2人に「どうする?」と聞いた。「遊ぶ時間が減るならば、ヤメる~。遊びたいもんっ!」。至極、真っ当な答えだ。その上で、次女はバトンを、長女は、お茶クッキー英語とダンスは「続けたい~」と言う。僕は続けた。「うんうん、好きならば続ければいい。でも、苦しいからってやめちゃダメだぞ。自分が選んだ道だから、それはそれで頑張らなくちゃイケない。でも、本当にイヤっ! と思ってしまうことがあるならば、ヤメたいって、ちゃんと言うんだよ~」。「は~いっ!」と言って、次女が続ける。

     「パパ~っ! ワタシは明日から宿題をヤメたいで~すっ!」。

     ぶほっ! 今度はBEERを吹き出してしまった…(苦笑)。