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    北の寨(とりで)に住む老人。 

    のち 15cmほど積もった。


     去年の12月にサッカー日本代表の岡田監督が母校・早稲田大学で講演を行った。僕は、その内容を谷○で読んで知ったのだが、谷○からコピペするのは、ルール違反なので別の場所から、今日は持ってきた(笑)。

     以下、岡田監督の話の最後の部分の一部抜粋。

     『僕は色紙などに「座右の銘を書いてくれ」と頼まれたら、大体“人間万事塞翁が馬”という言葉を書くんです。ご存じでしょうが、中国の城塞におじいさんがいて馬を飼っていたと。馬は当時貴重なものだったのですが逃げてしまった。周りの人が「おじいさん、大変な災いでしたね」と言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや何を言う。この災いがどういう福をもたらすか分からん」と言っていたら、逃げた馬が雌馬を連れて帰って財産が2倍になった。
     
     「おじいさん、良かったですね」と周りの人が言ったら、おじいさんが淡々と「いやいや、この福がどういう災いをもたらすか分からん」と答えたら、連れてきた馬に乗った息子が落馬して足を悪くした。「いやあ災難でしたね、おじいさん」と周りの人が言うと、またおじいさんは「いやいや、この災いがどういう福をもたらすか分からん」と。そして、戦争が始まって、村中の若者が駆り出されて全員戦死したのですが、その息子は足を悪くしていたので、戦争に行かずに生き残ったというように話が続きます。

     僕は「バーレーンに負けなかったら、どうなっていたんだろう」「ウルグアイに負けなかったら、どうなっていたんだろう」といろいろなことを今思います(※日本は今回のW杯予選の早い段階でバーレーンに負け、強化試合のウルグアイ戦でも勝てなかった)。そういうことが続いてくると、何か問題やピンチが起こった時に「これはひょっとしたら何かまたいいことが来るんじゃないか」と勝手に思うようになるんです。もうすぐ発表になりますが、今回もスケジュールで大変になることがまたあるんです。それは確かに大変かもしれない。でも、「ひょっとしたらこれでまた何か良いことが生まれるんじゃないか。強くなるんじゃないか」とだんだん考えるようになってくるんです。
     
     ずっと振り返ってみると常にそういう連続でした。「バーレーンに負けたおかげで今がある」と思います』。

     
     今日はコネクリ回して書かない。必要なことだけ書く。後期試験もコケちゃった諸君。前を見よう。学校とは、単なる「入れモノ」だ。それで君たちの価値が決まるわけじゃない。その先の努力で、いくらでも変化は可能だ。自称〝挫折の大家〟として僕からアドバイスを送ろう。これから、大人の階段を昇っていく中で、「試験」と言われるモノは腐るほどある。で、これは本当のことだが、それ全部に合格する必要はない。どれか1つに通ればよい。で、大抵、誰もが1つは通るようになっている。今回は、〝君たちの勝負の場〟でなかっただけ、だ。これからやってくる〝本当の勝負の場〟で勝てば、それでいい。

     うん? 親がウルサい?
     そんな時は、「塞翁が馬だよ」と言い返せばいい。
     親は何も言えないはず(苦笑)。

     ただ。これから先、やることをやらねば、〝勝負の場〟は来ないのも事実。その辺りも、岡ちゃんは語っているので、再度、抜粋しよう。

     
     『若い人にこれからチャレンジをしてもらいたいということです。「いやあ、今はこんなことやったって……」といった能書きはいい。ともかく一歩踏み出して、どんなことでもいいから目標を作ってチャレンジをする。

     僕はいろんな決断をする時に、「明日死ぬとしたら今どうするだろう」と自分を追い込みます。人生というのは「おぎゃー」と生まれてから、必ず来る死というものに一歩一歩進んでいくだけなんです。僕なんかはもう半分以上進んでいるんですけどね。誰もが必ず死ぬんです。この講演の帰りにポロッと死ぬ人もいるかもしれない。その間をいかに生きるかなんですよ。何もなく、のほほんと生きていくのも人生です。「生きているだけですばらしいこと」とよく言います、その通りです。

     でも、できるならどんな小さなことでもいいから、チャレンジをしてもらいたい。頭でごちゃごちゃ考える前に踏み出してみる。少々壁や何かがあろうが、そんなもの関係ない。必ず乗り越えられる。壁というのは邪魔をするためにあるのではない。自分の気持ちを確認されているんです。「本気でこいつはやってんのかどうか」と。そういうつもりでチャレンジに一歩踏み出していただければ幸いです』。
    (※講演全てを読みたい人は→コチラをどうぞ)

     
     ちなみに。岡ちゃんもワセダに入るのに浪人している。
     それだけに。説得力がある。

     頑張れ。ここがスタートだ。







    職業=大学教授。 

     昼間は暖かい。


     仕事柄、ウチの会社ではどのセクションでも一日中、テレビが点いている。だから、ここ数日はどのフロアに行っても、例の声が聞こえてきた。しかも。男だらけの会社に響く、女性の声だから。一瞬、「なっ? なにっ!? 何が起きたの?」と思うことになる。

     ウォ~~、ウォ~っ、ウォーーっ!
     ヤップ、ヤァ~~ヤァ~っ、ヤァーーっ!

     会社中が発情しているのかと思った。
     いかん。どうも最近、発想がエロい(笑)。

     それにしても。なぜ、カーリングでは「ウォ~」と「ヤァ~」と叫ぶのだろう? 調べてみた。答えは簡単。「ウォ~」=「NO~っ!」がそう聞こえるだけ。当然、「ヤァ~」=「YES~」。サッカー風に言えば、「スルーっ!」=「掃かないで~」と「クリアっ!」=「掃いて~」ということか。でも。それだったら、日本語で言えばいいのに…。「日本人なのだから」という国粋主義発言をする気はないが、ネイティブな日本語の方がカラダが素直に反応する気がする。

     出会え~~、出会え~っ、出会えーーっ!
     ヤメ~~、ヤメ~っ、ヤメーーっ!
     この方が闘う場には相応しい(笑)。

     くだらない発想は、ともかくとして。スポーツで競技の標準語みたいなモノに縛られる必要が果たしてあるのだろうか? と思う。イヤ、確かに国籍の違うプレーヤーが同じチームにいる場合は、その必要があるのかもしれないが、国を代表して闘うのに〝相手〟にも分かる言葉で話すということには、僕は違和感を覚える。サッカーで言えば、「ターンっ!」「マノンっ!」。W杯で国と国の威信を掛けて闘うのならば、「行けるっ!」「来てるっ!」の方が他国は混乱してくれる気がするけど…。ところが、そんな風に「ちょっと、僕の考えはセコいか?」と思っていたら、日本代表は既にその理由で、「ターンっ!」「マノンっ!」は止めているらしい。そう。日本は日本らしく闘えばいい。

     サムライ魂で行こうよ、カー娘もサッカー日本代表も。
     目黒選手は、その方が似合うと思うけどなぁ…。
     
     その点、今日のカー娘の相手国、ドイツはドイツらしかった。特にスキップのシェップさん(44)。シェップさんの顔は。まさに。オリバー・カーンっ、そのもの(笑)。この顔で「ウォ~」「ヤァ~」の間に何か必死にドイツ語で叫んでいた。「ヤロウどもっ! 掃けっ! 掃きまくれ~っ!」もしくは「気合だっ! 気合だっ! 気合だぁ~っ!」って感じか? 間違いなく、ゲルマン魂の塊。僕はいっぺんに彼女のファンになってしまった。

     協会会長殿。次期監督にシェップさんはどうでしょうか?(笑)。




    西部の雄。 

    のち 明日は曇りの予報だ。


     緑の人工芝の上にゾロゾロ。おそらく80人位はいる。色とりどりのユニホームを、それぞれが自由に着てサッカーに真剣に取り組んでいる。時折、「ピーッ!」と甲高い笛の音が鳴り、「交代っ!」の叫び声が響くとササーッとプレーヤー達が入れ替わる。見た目の統率は全く取れていないが。意思の統一はできている。多分、高校生だろう。いいチームだ。いや、適切な表現じゃないな。

     きっと。良い学校の生徒だ。

     息子をH市Rグラウンドに送って行った。集合は18時半。本来、KSCは金曜日の練習はない。が、明日はクラブユース選手権県予選決勝。それに備えての調整練習が人工芝のRグラウンドで行われたのだ。普段、ウチは息子を車で送らない。んなもん、遠くても自分で電車で行けっ! が基本。Rグラウンドの場合、一度、ターミナル駅に出てK市経由でH市、そこから電車組乗り合わせでタクシーとなる。ただ、今日はたまたま僕が早く帰れたので、「たまには練習を見てみようか? 何か小学生の練習に使えるものがあるかも」と思っただけのこと。

     着いて、目にしたのが冒頭の光景だ。

     先に来ていた他の保護者に「どこのチームですか?」と聞くと「M高校のサッカー部ですよ」との返事。ふ~ん。M高かぁ。僕は出身が群馬で、今、住んでいるのは県南地区だから馴染みは薄いが。聞いたことはある。確か旧制中学から続く、歴史ある男子校だ。

     どうでもいい話に飛ぶけれど。我が県、群馬、栃木、福島の主要都市に昔からあった進学校(今や受験校だけど)は男子校・女子高に分かれていた。「男女七才にして席同じくせず」の考えに従ってかどうか? は知らない(笑)。ただ、この男女別進学(受験)校制度を未だに保っているのは我が県だけだ。他の県は、少子化の影響と性差別撤廃の流れでビシバシ撤廃されている。ちなみに我が母校も今や共学校だ。

     実にくだらないっ! 我が県だけはツマラン風潮に負けないでほしいっ!

     おっと。話を戻す。そうそう、Mコウ・サッカー部の話だ。もう、KSCのアップ、そっちのけでMコウ・サッカー部の練習に見入った。みな、上手だ。スピードに溢れ、キチンとドリブルとショートパスで繋いでいく。チームのコンセプトが明確だ。よく見ると、カラフルな多国籍ユニホームの横、B面でボールを蹴る中に20人位の「真っ白クン」達が存在する。一年生だろう。白いシャツにはマジックで名前が書いてある。微笑ましい。

     「ふ~ん。公立でもレベル高いじゃん、Mコウ・サッカー部っ!」

     と、僕が言うと先程の保護者が教えてくれた。「確か、毎年、県でBEST8には入るはずですよ、Mコウは」。なるほど。実際の試合で、どんな試合をするのは知らないけれど。頑張っている、公立もあるんだな…。どうしても、私立ばかりに目が向くけれど。公立の試合もシッカリ見に行け! と息子に言っておこう。

     19時半。Mコウの練習が終わり、KSCの練習が始まる。Mコウはグラウンドの外に出て、顧問の先生の話を全員で聞いている。「週末の予定は…」。顧問の声が響く。終了すると、顧問が真っ先に帰る。部員全員が大きな声で「さ~っす(サヨナラっす)」。顧問は笑顔で生徒に頷く。そして、ちょい離れたところに立っている僕らに気付き、大きな声で「お先に失礼しますっ!」。

     気持ちいい挨拶。Mコウ、いいじゃん!

     もちろん僕も。大きな声で「お疲れ様でした~っ!」。そのうち、まず3年生がチャリンコに乗る。「下級生全員が「さ~っす!」。意気揚々と帰る3年生…と思いきや。僕らの方に向かい、アタマを下げて「さ~っす」。次に2年生が続く。「さ~っす」。最後にボールや道具などの大荷物を小脇に抱えた1年生が「さ~っす」。

     気持ちいい。Mコウ、頑張れっ!

     思わず、最後尾の1年生に聞く。「家に帰るの?」。「いや、まだっす。学校に帰って。道具を置いて。着替えて帰ります」とのこと。学校までチャリで30分くらいかかるらしい。「たいへんだなぁ」と言うと。

     「1年っすから。サッカー好きっすから」。

     照れた笑顔が爽やかだった。名字が大きく書いてある白いTシャツが眩しかった。このブログを書くにあたり、偏差値や学校概要を調べようと思ったが止めた。そんなくだらない物差しで、この子達を計っちゃいけない。強くても弱くても。成績が良くても悪くても。どんな学園生活を送っているかも知らないが。そんなこと関係なく、マジに頑張っているサッカー高校生ならば、僕は平等に応援したいっ!

     それにしても。戻りたいなぁ。あの頃に(苦笑)。


    直前合宿地「恐山」。 

    のち 寒の戻り。冷たい雨の日は頭痛がヒドい。


     1日遅れの祝辞だが。第2回WBC、侍ジャパン、優勝おめでとう! 久々、日本を明るくさせた大ニュースだった。僕も、東京・新橋でモミクチャにされ、「イキかけながら」号外を配布させていただいた(苦笑)。

     やはり、イチローはスゴかった。ドン底の不調であっても最後の決勝では4安打。しかも、延長戦勝ち越しのチャンスに堂々の2点適時打。そこで打っちゃうこともスゴいが、それよりも、あそこで打順がビッタリ回ってくることに僕は驚く。本人曰く、「僕は持っていますね、やっぱり。神が降りてきましたね」。他の選手が、この言葉を言ったら、「なにを生意気をヌカしてんだよっ!」と世間で言われてしまうが、世の人全員が「イチローは〝持っている〟」と認めているから、ちっとも生意気に聞こえない(笑)。僕なんざ、〝持って〟いないどころではない。〝モテない〟(笑)。ましてや、神なんか降りてくるはずもない。

     イチローの経歴を見てみた。当初、入団したオリックスでホサれたが、河村コーチと出会い、2人3脚で振り子打法を身に着ける。名将・仰木彬が監督に就任すると、1軍抜擢、4月中には1番に定着。登録名を「鈴木一朗じゃ平凡すぎるから『イチロー』で行けっ!」と言われ、替えると、一気にブレーク。この年、日本新記録の69試合連続出塁、日本球界初となるシーズン200本安打の偉業を達成。最終的に210安打(日本記録)まで延ばし、この年から打撃の正式タイトルとなった最多安打の初代獲得者となった。パ・リーグ新記録となる打率.385で首位打者も獲得。打者としてはプロ野球史上最年少でMVPまで手にした。

     その後の活躍は書くのが疲れるのでヤメる(笑)。

     確かにイチローは「持っている」。大きく育ててくれる指導者との出会いも〝持っている〟からこその出会いなのだろう。〝持っていない〟ばかりに、その才能を生かせなかったプレーヤーもたくさんいるはずだ。そう考えると、スポーツ選手にとって〝持っている〟ということは非常に大切な気がしてくる。

     今の日本のサッカー界にイチローほど〝持っている〟プレーヤーがいるか…。シュンスケ、エンドウ…ん~イチローに比べるとスケールが小さい気がする。クラマーと出会った「世界のカマモト」まで遡るしかないか…、いやカマモトだってイチローの〝持っている〟度には遠く及ばない…。誰かいないか…いねぇなぁ…いたっ!

     大空翼っ! ロベルト本郷とも出会ったし。
     確実にイチロー並に〝持っている〟ぞ~っ!(笑)

     おふざけはやめて。現実に戻る。期待したいのは。原口元気クンだ。各世代で名指導者に出会い、小・中・高と日本一を経験。そして、フィンケと出会い、高校生ながらJ開幕スタメンデビュー。今の時点では確実に〝持っている〟。いつでもどこでもボールと一緒だったという努力家としての逸話もM先生から聞いているから〝持ち続ける〟可能性は極めて高い。元気クンの県NO1チーム時代の同級生・塩田クンもイチロー候補の1人。指導者にも恵まれ、元気クンと一緒に全少制覇、そしてKSCでプレミア制覇。今はマリノスユースで頑張っている。

     話を本題に戻す。僕は思う。実は〝持っている〟ヤツはケッコウいるのではないだろうか。が、自分が〝持っている〟と気付かずに「なぁなぁ」で終わらせてしまっているケースも多々ある気がする。〝持っている〟としてもそれだけではダメなのだ。

     やはり、弛まぬ努力が大事。イチローだって、〝持っている〟のが証明されたのはプロになってから、だ。今日、新聞でチチロー(イチロー父)のコメント記事を見て実感した。「『幼少時代、地元のバッティングセンターに1年で366回以上、通った。1日に2回以上行くこともあったから。その結果、愛工大名電高時代は《センター前ヒットならいつでも打てる》と言うまでになった。WBC決勝の勝ち越し打は、そのセンター前ヒット…』。チチローの声も震えていた」。

     結果としての〝持っている〟〝持っていない〟は一度封印して。〝持っている〟と信じ、サッカー少年全員が努力をしよう。たとえ今は〝持っていない〟状態だとしても。努力によって〝持っている〟状態になれるかもしれない。そうすれば日本代表は〝持っている〟選手だらけになるっ! 神を降ろせる選手が揃えば、W杯制覇も夢ではない。 日本協会の目標より前倒しになってしまうけれども、目標は2014年W杯におこう。この大会は相当に価値のある大会だ。なぜなら、第20回記念大会なのだ。そして、開催地はブ・ラ・ジ・ルっ! ここで優勝したならば。WBC連覇どころではない。スゴいなんてもんじゃないほどスゴい。大丈夫。鎌倉時代に日本には神風が吹いた実績があるのだから。

     日本という国自体は〝持っている〟のだ。

     イチローはWBC連覇で「イキかけた」とコメントした。それ以上の価値がある2014年W杯優勝時のサッカー代表選手の言葉は、この時点で既に決まった。

     「イッチャイました」(笑)。

     その時は。僕もモミクチャにされて「イキながら」号外を撒きたいと思う(笑)。



    あと数年。 

     寒かった。WBCは日本のV2っ!


     久々に。新聞を読んで、「いいねぇ!」と感じ入る記事があった。

     断っておくが、全面的に「この記事の生き方がいい」と息子に言う気は、ない。この日記で、何度も書いている通り、「サッカー選手? ちいせぇ、ちいせぇっ! どうせ努力と根性を見せるなら、Uコウ⇒トーダイ⇒モンカショウキャリアの道を歩み、サッカー協会全体をギュウジるくらいの志を持たんかいっ!」というのが僕のバカ親としての本音だ(それだけの学力があるという意味では残念ながら決してない、笑)。また、世間的に「中学生の興味がマンガやテレビやゲームに行くのはフツーのことでしょ?」「友達と遊ばないなんてキモイよ」という意見があることも十分に理解している。なぜならば、僕はゲームセンターに友達と通うチューボーだったし、そういうコーコーセイだったから。

     息子よ。本音は本音として。世間一般は世間一般として。それと同じで、「こういう生き方」は「こういう生き方」として。いろんな生き方があるんだということは覚えておいてほしい。そして、「こういう生き方こそ、プロとして相応しい」ということも覚えておいた方がいい。お前がプロになろうとしても、なろうとしないにしてもだ。どれを選択するかは、君の自由。

     オマエの人生だ。オマエが決めて、オマエ自身で切り拓け。

     以下、3月24日付のニッカンスポーツより全文抜粋。


     コラムタイトル「言葉の数ほどドラマがある」

     『オレは15年後に遊ぶ』 ―柏GK菅野孝憲―

     菅野は1日24時間をサッカーに捧げている。GKはゲームの流れを読む力が必要と思い、1日1試合以上は必ず欧州リーグなどの試合を見る。「新たな気持ちでサッカーに取り組むため」にお笑い番組のチェックも欠かさない。「食事に金と時間をかけるのはプロとして当然」で栄養士の指導を受け、練習メニューによって食事メニューを変える徹底ぶりだ。

     菅野 「僕には24時間では足りないです。1日が26時間なら、2時間をサッカーのための休養に充てることができる」。

     遊びたい盛りの中学1年の時だ。ゲームセンターに行こうという友達の誘いを「トレーニングがあるから」と断り、ジュニアチームの練習に向かった。自宅のある埼玉・富士見市から東京・稲城市の東京Vのグラウンドまで、片道2時間の電車の中で自分に向かって言い聞かせたという。

     「オレは15年後に遊ぶ」。

     将来、プロになると決めた時から、ゲームや漫画、友達との遊びは、どんどん興味が薄れていった。誘いを断り続けるうちに誘われなくなった。

     プロになった今は「オレに捕れないボールはない」と自分に暗示をかけ、自分の能力を最大限まで引き出すために努力をしている。正月休みや海外旅行中でも最低40分は走る。1年365日、完全休養日はゼロだ。

     菅野 「サッカーがうまくなるためなら、何でもする。その気持ちが切れた時には潔く引退します」。

     酒もギャンブルもタバコもやらない。つまらない人生と思われるかもしれない。しかし、菅野にとってサッカー漬けの24時間は、とても楽しい、充実した至福の時間。あと数年で迎える「15年後」になっても、遊んでいる姿は想像できない。

     ◇菅野孝憲(すげの・たかのり) 1984年(昭59)5月3日、埼玉県富士見市生まれ。小学4年の時に東京VジュニアでGKスタート。03年J2横浜FC入り。J1に昇格した07年度、34試合にフル出場し68失点で新人王受賞。04年7月10日の鳥栖戦で88メートルFKを直接得点するキック力が武器。770分連続無失点のJ2記録を持つ。179センチ、75キロ。